話題のエコノミスト、エミン・ユルマズ氏の新著『エブリシング・ヒストリーと地政学 マネーが生み出す文明の「破壊と創造」』は、経済✕地政学が融合した著書初の世界史本だ。ローマ帝国崩壊の裏側にあったマネーの歴史が、現代の私たちに教えるものとはなんだろう?

(本稿は、前掲書から一部抜粋したものです)

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かつて栄華を極めたローマ帝国 ©AFLO

ローマの財政を大いに圧迫した軍事費

 栄華を極めたローマ帝国も3世紀に差し掛かると、陰りが見られるようになっていく。帝国が版図を最大に広げたのはトラヤヌス帝の治世だったが、領土が拡大すればするほどイタリア本国内の空洞化という問題が深刻化していった。

 塩野七生著『ローマ人の物語』に詳しいが、当時の主要産業だった農業で、イタリア国内においては「農地法」の定めで中小の自作農が多数を占めていたが、属州ではイタリア国内に適用されていた農地法の規制が及ばず、大農園が中心になっていた。

 結果、資産家である元老院階級の投資先が収益性の高い属州に向いてしまい、イタリア本国内への投資が少なくなり、帝国の本拠地であるイタリアに空洞化の恐れが出てきたのだ。それを防ぐ手立てとして、トラヤヌス帝は元老院議員に資産の少なくとも3分の1をイタリアに投資する法律を成立させ、本国への資金還流を促したという。

 だが帝国の維持コストは甚大で、軍人皇帝時代の頻発する内乱と、広大な国境線の防衛に対応するだけの常備軍の補充はローマの財政を大いに圧迫した。「すべての道はローマに通じる」と言われたように、「共和政ローマから帝政期に建設されたローマ街道は、最盛期には全長20万マイル(約32万キロ)」(「ナショナルジオグラフィック日本語版」2021年2月7日)におよぶ広範な道路網を整備し、軍隊の迅速な派遣、補給線の確保、行政命令の伝達、商業交易促進のためのインフラを戦略的に展開してきた帝国にとって、辺境の防衛に要する軍事費はアキレス腱だった。

コインの銀の含有量がどんどん減ってゆき……

 当座の軍事費を賄うため、貨幣供給量を増やす必要がある。ところがコインを鋳造したくても、その材料となる銀が不足してしまった。

 当時の通貨制度は、金銀複本位制ともいうべき額面の価格とコインそのものの金属価値を一致させたものだったが、銀の供給量が著しく減少した結果、デナリウス銀貨の銀の含有量が引き下げられていった。貨幣鋳造により供給量は増えたものの、デナリウス銀貨の価値自体が減ってしまったのだ(図参照)。

『エブリシング・ヒストリーと地政学』より

 加えて、地中海貿易や東方貿易によって、外国から様々な物資がローマ帝国内にもたらされていたことから、ローマの都市ではモノづくりが行われなくなり、必要なものは外国からの輸入に依存していた。