「あなたの実家から借金できないかな」

 一緒に子育てをした(友人の)竹下は、勇三を知っている。

「何回かお会いしたことがあります。にこにこして、とても暖かい印象を与える人でした」

 寿子から困っているとも聞かされた。

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「ギャンブルについて、よく聞きました。『困ったことがあってね』って。貯金通帳からお金が引き出されてしまったとか、家が抵当に入ってしまったとか。大変な時期だったと思います」

 それでも勇三は株をあきらめなかった。勤務する商社の株を買いたいと言った。寿子が「うちにはもうそんなお金がない」と説明すると、「あなたの実家から借金できないかな」とまで言いだす始末だ。勇三は「役職も上がるから」と力説した。

 すでに夫の中では借金へのハードルは極端に下がっていた。寿子の信頼が完全に失墜するのは、勇三が86年に米カリフォルニア州に駐在するようになったのがきっかけだ。寿子は一人で日本に残り、育児に追われた。

 単身赴任した勇三はカジノに手を出した。負けた分を取り戻そうと、カネを借りるため借金は雪だるま式に増えていく。

 金策のため一時帰国した夫を見て、寿子は驚いた。

「勇三さんはうなだれて涙を流すようになっていました。単身生活で寂しかったのかなと同情する気持ちがありました」

大野寿子 ©文藝春秋

口から出た途端、家族の幸せが逃げていく

 寿子は87年、家族で米国に暮らす決意をする。夫を支えなければ、家族がばらばらになってしまうと思った。

 夫の赴任先に向かう妻は、現地の日本人駐在員や地元の知人に手土産を持参するのが慣例だ。手に入りにくい日本の食料などを持って行くと、現地駐在員に喜ばれる。

 寿子もそう聞いていた。しかし、借金を返済した後だったため、家には十分な資金がなかった。寿子は夫に内緒で母から支援してもらって、何とか土産を買いそろえた。それを見た勇三は言った。

「どうしてこんなものしか買ってこなかったんだ」

 寿子はのどから出かかった言葉を精いっぱい飲み込んだ。

「あれだけの借金を作っておいて、うちにどれだけお金があるの」

 攻撃的な言葉が胸の中でこだまする。口から出た途端、家族の幸せが逃げていくように思えた。お金を話題にすると、勇三は機嫌を悪くする。それを知っている寿子は言葉を、自分の体に閉じ込めた。

「私は子どものころから、お金に不自由した経験がない。だから世間知らずだったんですかね。あのとき、はっきりと『もううちには一切お金がない』と言っていたら、その後の事態は違っていたかもしれません」