サラ金業者から督促の国際電話が
自宅はサンフランシスコ郊外サンマテオにあった。サンフランシスコ湾に面する風光明媚な住宅地である。
87年は比較的静かに過ぎた。勇三がさらにギャンブルにのめり込むのは、寿子たち家族が赴任して2年目だった。
夫はカードを使って日本のサラ金から借金を重ねた。この時代、サラ金業者に対する規制が緩く、高い金利を払えば多額の借金ができた。
日本のサラ金業者から勇三の会社に催促の国際電話がかかってくるようになった。それでもらちが明かないため、電話は自宅にまで入る。業者は寿子の実家の資産まで調べあげ、「親に相談できるだろう」と脅した。このままでは実家を巻き込んでしまう。
勇三はあまり家に帰ってこなくなり、寿子の焦りは大きくなる。電話が鳴る度に、サラ金業者ではないかと疑い、体が凍りついた。
そんなとき、長男の太郎が電話に出た。「お父さんかお母さんはいるか?」と聞かれているようだ。寿子はサラ金業者からだとわかり、思わず太郎に向かって、両腕でバツ印を作った。「お母さんはいない」のジェスチャーである。太郎は困ったような表情をしながら、「お母さんもいません」と答えた。
もう勇三とは暮らせない。寿子がそう思ったのはこのときだった。離婚が頭をよぎる。
「太郎は中学に入ったばかりだったと思います。そんな子に親がうそをつかせる。普段、うそをついてはダメよと教えているのにね。親としてバカなことをしていると思い、みじめで情けなかった」
「我が子にうそをつかせたんですから、最低の親ですよ」
寿子はその後、太郎とあのときのジェスチャーについて話をしていない。それでも気になっているようで、私に「あの子、覚えているかな。何も言わないですけどね」と語り、こう続けた。
「悪かったなとつくづく思います。今でこそ『難病の子の夢を実現する』なんて格好付けていても、かつては我が子にうそをつかせたんですから。最低の親ですよ」
私が確認すると、太郎は覚えていた。長男だったため、家にかかってくる電話によく出ていたという。
「『親はいないのか』と聞かれ、『いません』と答えていましたね。そう答えるよう言われていたように思います」
家族で団欒した記憶も薄い。
「勇三とは深く交流していないんです。父だとは思っていましたが、世話をしてもらった記憶はあまりない。父は口下手だったし、私とは深く話さないままでした」
寿子にはもう一つ、太郎にすまない思いをさせた記憶がある。勇三がネバダ州リノに向かう飛行機に搭乗するとわかり、空港まで車で追いかけた。リノはカジノの街として知られていた。このまま行かせたら、多額の借金を作ってくる。寿子は何とか阻止したかった。結局、間に合わず、夫を乗せた飛行機は飛び立った。
空港から自宅に向けハイウェイを戻るとき、寿子はハンドルを握りながら、ボロボロと涙がこぼれた。そのとき、同乗していたのが太郎だった。
「あの子は何も言わずに、じっと見ていたんです。優しい子だから、母が泣くのを見るのはつらかったでしょう。あのことは覚えているはずです」
空港に行ったのは太郎の記憶にある。
「母は泣いていたのかな。それはちょっと記憶にないです。ただ、すでに離婚の方向に向かっているのは感じていました。夜になると、寿子が一人でバドワイザーを飲みながら悩みを語るのを、聞いていました。長男として相談にのる、母を支えるという感覚は強かったと思います」
