《今まで誰にも見せたことない、内緒にしてきた姿が、ふとした表情とかに出てたんです。本当に下手くそだったんですけれど、キラキラしていて、映画ってすごいな、ここにずっといれたらいいな、と漠然と思ったのを覚えてます》(『anan』2010年12月1日号)

 三浦大知を含む小中学生の男女7人でFolderを結成したのは『モスラ2』の公開と同じ1997年で、3年ほど活動したのち、さらにその女性メンバーでFolder5を結成し、多忙な日々を送った。この間、中学2年生だった1999年秋に上京している。

Folder5「AMAZING LOVE」(2000年)

 高校2年生になっていた2002年にグループが活動を休止し、沖縄に戻るメンバーもいるなか、満島は東京に残った。《このままで帰るのは悔しかったし、私には「役者になりたい」という夢があったから》だが(『文藝春秋』2012年4月号)、演技の仕事をするチャンスにはなかなか恵まれなかった。ソロになってからは、事務所に言われるままに水着でグラビアをやったり、クイズやモノマネ番組などテレビのバラエティに出たりもしたが、自分には向いていないと痛感するばかりであったらしい。

「自分を殺してまた生まれ変わったらいいよ」

 2005年にテレビのウルトラマンシリーズ『ウルトラマンマックス』に出演したのを皮切りに、俳優として本格的に活動を始めたものの、《最初は芝居をしても、アイドルの頃の癖がついちゃっていて。頭で描いていることと違うことをやっている、そういう感じでした》と振り返る(『週刊現代』2012年12月15日号)。

ADVERTISEMENT

 満島は上京するとき、父親から「1ヶ月に1回くらい自分を殺してまた生まれ変わったらいいよ」と言われたことがあったという。だが、当時の彼女にはそれがどういう意味なのかよくわからなかった。ようやく理解できたのは10年ほど経って、映画『愛のむきだし』(2009年)に出演したときだった。

映画『愛のむきだし』(2009年公開)

 同作で俳優として一躍注目され、数々の映画賞で新人賞も得た。それだけに世間では転機として捉えられる。しかし、本人からするとそれはちょっと違うらしい。《あの役はあの映画の中で死んでるから。私の中にも何も残らなかった。ちゃんと染みついたものももちろんあるし、でも、あの役を生きた自分は滅びている。「ああ、そういうものなんだな」って》。そう気づいたとき、満島はやっと父の言った「自分を殺す」の言葉の意味がわかり、「これで芝居の仕事をやっていける」と思ったという(『週刊現代』前掲号)。