フジテレビ“ノイタミナ”ほか、Amazon Prime Videoで放送・配信中のTVアニメ「BANANA FISH」が大きな話題を呼んでいる。傑作との呼び声も高い本作から、「人気漫画の理想的なアニメ化」についてコラムニストの小石輝氏が考える。
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原作のイメージを壊されたらイヤだなあ、という人へ
恋ちゃん(大手マスコミの元気な若手社員)「小石さん。ついに吉田秋生作『BANANA FISH(バナナフィッシュ)』のアニメ版放映が始まりましたね!」
小石輝(恋ちゃんによくいじられる、先輩社員。おじさんオタク)「おっ。君も『バナナフィッシュ』のファンなの?」
恋「1985年~94年の連載だったので、リアルタイムでは読めませんでしたが、大学生の時に単行本を一気読みして、はまっちゃいました。主人公アッシュの圧倒的なかっこよさ。アッシュと英二との魂の触れあい。ニューヨークを舞台とするハードなアクションの連続。これぞエンターテインメントの王道ですよ!」
小石「熱く語るねえ。で、アニメ版は観たんか?」
恋「いやー。原作のイメージを壊されたらイヤだなあ、という思いもあって、まだ観ていないんですよ……」
小石「その気持ちはよう分かるで。原作をなぞるだけのアニメ化やと『原作を知らない人は楽しめるけど、原作を知っている人には物足りない』という凡作になりがちやし、アニメの作り手が好きなようにやってしまうと、『原作の持ち味をぶち壊した駄作・怪作』に終わりかねんからな。そやけど、今回の『バナナフィッシュ』の序盤を見る限り、君の心配は杞憂やね。特に第1話、第2話は、原作の魅力を10とすれば、それを13~14ぐらいにまでパワーアップしているんやないか」
恋「ええ!? あの原作の完成度をさらに超えているんですか!」
小石「最初に観た時はオレもビックリしたわ。一見、原作を忠実に再現しているだけのように見えるのに、まるで初めて『バナナフィッシュ』という作品を体験するかのような新鮮さ、驚きがある。内海紘子監督をはじめとするアニメ版の作り手たちは、原作の魅力の本質を実によく理解しつつ、漫画と映像の違いを踏まえて、原作のある部分は大胆にそぎ落とし、別の部分については絶妙の演出で感銘を深めている。これぞ『プロの仕事』やね」
恋「ひねくれオタクの小石さんには珍しい絶賛ですねえ。具体的にはアニメ版のどういう所を評価してるんですか?」
小石「それを説明する前に、物語の発端をざっとおさらいしてみようか。弱冠17歳でニューヨークのストリートギャングたちのボスを張る美少年、アッシュ・リンクスはある夜、手下の少年たちが自分に無断で1人の男を殺害する現場に遭遇。瀕死の男から『バナナフィッシュ』という謎の言葉と、粉状の薬物が入ったペンダントを託される。男はコルシカ・マフィアのボス、ディノ・ゴルツィネの差し金で殺されたことが分かる。
ゴルツィネは幼かった頃のアッシュを男娼として囲い、陵辱していたことがある。一方で、アッシュのずば抜けた才能を見込んで裏街道の『英才教育』を受けさせ、自らの後継者にしようとしているという、アッシュにとって因縁浅からぬ男や。アッシュとゴルツィネの抗争に絡んでくるのが、カメラマンの助手としてたまたまNYを訪れた19歳の元棒高跳び選手・奥村英二。アッシュと英二は数々の修羅場をくぐっていく中で、お互いの絆を深め合っていくんや」