高畑勲監督の映画『じゃりン子チエ』に似ている
小石「この他にも、バイクの動きのあまりのかっちょよさとか、ゴルツィネがアッシュの肩に手を回す時の指の動きのいやらしさとか、原作のNY市警絡みの部分を大胆にカットすることで物語の流れをぐっとよくしていることとか、見どころを語り始めるときりがないわ。それでな、オレがこの1、2話を見て思い出したのが、高畑勲監督の映画『じゃりン子チエ』(1981年)なんや」
恋「チエちゃんのことは、私も知っていますよ。だけど大阪が舞台の人情喜劇で、『バナナフィッシュ』とはまるで違うテイストじゃないですか!?」
小石「確かにな。そやけど、オレは、『じゃりン子チエ』は『人気漫画のアニメ化の理想型』と思っているんや。高畑監督をはじめとするスタッフたちが、はるき悦巳の原作に惚れ込み、その持ち味を最大限に活かそうとしてあらん限りの知恵を絞っている。
例えば原作のキャラクターたちの顔は、原則として正面からの顔と横からの顔の二種類しかない。それを違和感なくアニメ化するために、絵コンテの段階から『顔をすばやく回す』『斜めの位置で顔を止めない』などの工夫をしているんや。そして、劇中では、原作と同じ構図のカットを多用し、原作漫画の雰囲気を生かすことを重視している。高畑監督自身、この作品について『原作の(絵)のポーズを生かしながら、自然に動かして、その上同じ気分を出すことを目標にした』と明言しているぐらいや」
恋「アニメ版のバナナフィッシュでも、『アッシュが敵を蹴り上げる原作の絵のポーズを生かしながら、自然に動かし、原作と同じ雰囲気を出す』という、まったく同じことを試みているわけですね」
小石「そういうこと。アニメオリジナルのシーンの入れ方でも、『チエ』と『バナナフィッシュ』は似ている。チエちゃんが別居中の母親とデートする所や、親子3人がそろって遊園地に行く所など、一見目立たないシーンでさりげなく場面を追加することで、原作の見せ場となるシーンを一層盛り上げることを狙っているんや」
原作の魅力の核心を的確に捉えた上で、それを巧みに映像へと落とし込み、表現としてさらに膨らませていく。だから、映画の『じゃりン子チエ』を観ると、『原作そのままに見えるけど、なぜか原作よりも深みが感じられておもしろい』という奇蹟のようなことが起こるわけ」
恋「『原作に忠実にアニメ化する』って、『原作をそのままなぞる』こととはまったくレベルが違う創造的な仕事なんですねえ。アニメの『バナナフィッシュ』は、『じゃりン子チエ』の域に到達することができますかね」
小石「テレビアニメと劇場用映画では、製作条件にまだまだ差があるやろうからなあ。正直、『バナナフィッシュ』の第3話、第4話からは、最初の2話ほどの『凄み』は感じられなかったけれど、第4話冒頭のアクションシーンの切れ味、アッシュとジャーナリストのマックスが、刑務所の中で次第に信頼関係を深めていく描写など、十分水準に達していると思うで。それに、さまざまな制約の中で『ここぞ!』という時に全力を集中することで、奇蹟のような回が出現することが、テレビアニメの醍醐味の一つやからな。
序盤で、作り手たちの手腕と原作への愛情と志の高さは十分に伝わってきた。それが今後の展開の中でどのように生かされ、原作のあの伝説的なラストシーンへと結晶化していくのか。期待を込めて観ていきたいと思うわ」