直接的に子供と触れ合わなくても、夫による「サポート」が大事なんだという理屈もわかります。ただ、僕だってもっと関わりたかった。自分たちがこれから育てていかなきゃいけない生命体が、今この瞬間どういう状況なのかを、もっと把握したかった。じっと見つめていたかった。男性である僕がそれを母性と呼んでいいのかどうかはわかりませんが、そういうものが僕の中に芽生えたのは確かです。
「サポート」が嫌だと言ってるわけじゃありません。でも、「サポート」に徹していると、瞬間瞬間の子供の反応、表情の変化みたいなものを全然見られないじゃないですか。
今はもう息子も1歳半で卒乳もしたので、あの頃とは手のかかり方も変わりました。僕が息子のご飯も作ってあげられるし、不思議とパパっ子なのでたっぷり触れ合えてはいます。だけど……あのときの、あの瞬間に求めていたものは、もう戻ってこない。
社会がパパの不満を無視している
ただ、この不満を妻にぶつけたいわけじゃないんです。生まれたばかりの子供にパパが何かしてあげたいと思っても満たされない状況があるってことを、この社会が認識してない。というより無視してるってことが問題かなと。
国も自治体も、イクメンを推奨するわりには、基本スタンスが「パパはママを支えましょう」じゃないですか。いやいや、もっとパパも子供に触れさせてくれよ! と思いました。
出産直後から「母になる」女性と違って、男性が「父になる」のはもっと後、みたいな言い方をされますよね。だけど男性が育休を取れば、より長く、生まれた子の近くにいることになります。従来とは違う関わり方になるし、そのことによって父性の感じ方も変わっていくんじゃないか? と疑問を抱きました。
僕の中に芽生えた母性らしきものとか、「もっと見つめていたい」みたいな感覚が、男にはないものだと社会が決めつけてる。男が育児を実感する、そこに義務感ではなく充実感があるってことが、この社会の中では必要ないものにされてるなって。
社会を規定してる側、仕組みを作ってる側が、その程度の解像度でしか把握してないってことです。これは僕の体感ですが、育児相談スタッフや助産師さんでさえ、「男性に宿る母性」の存在を認識しようともしない。出産後のメンタルヘルスに関するアンケートに答えるのは母親だけ。出産後の心療相談も母親だけ。結局、育児は母頼み。男にも母性があるなんて、誰も想像すらしない。だからいつまで経っても「パパのサポート意識喚起」でしか発想をスタートできない。
いや、そうじゃない。気づいてくれよ。男にだって育児の実感が欲しいんです!