人骨が並び、地雷原が広がる“地獄”から『北斗の拳』が生まれた
1970年から始まった内戦による飢餓と虐殺、ベトナム軍の介入で混沌としていたカンボジア。『ドーベルマン刑事』の大ヒットの後、軽いスランプに陥っていた武論尊さんが訪れたのは、首都プノンペンに侵攻したベトナム軍が主導権を握った1980年代初頭だった。
内戦が激化して以降、カンボジアを代表する遺跡群のアンコールワットは戦地となり、閉ざされていた。戦闘が一時的に落ち着いたことでアンコールワットを巡る1週間のツアーが開催されると知り参加した武論尊さんが現地で目にしたのは、想像を絶する景色だった。
アンコールワットに向かう道中、そこらじゅうに建てられていた粗末な小屋には、周囲の田んぼから掘り起こされた頭蓋骨が無造作に並べられていた。頭に小さな穴が開いているもの、頭の骨の一部が欠けているものなどがいくつもあり、それを見れば「撃たれたな」「頭をカチ割られたな」とわかった。田んぼのなかにはまだまだ数え切れないほどの人骨が埋まっているということだった。
アンコールワットの石像も徹底的に破壊され、あちこちに弾痕が残されていた。トイレなどなく、立ち小便をしようと田んぼのほうに向かったら、ガイドからすごい剣幕で「ノー!」と止められた。「そこは地雷原だから、入っちゃダメ」と言われて、身がすくんだ。
ツアーの一団をガードしていたのは、機関銃を持った10歳ぐらいの少年兵。「それはホンモノ?」と尋ねると、空に向けてダダダダダと機関銃を放射した。「お父さん、お母さんはどうした?」と質問したら、少年兵は無表情で「殺された」と答えた。
「為政者が少し狂ってたら、人間ってこうなっちゃうんだって思ったよね。あそこまで凄惨な暴力を目の当たりにすると、無力さを感じるんだよ。カンボジアに行って良かったのは、なにも抵抗できない側の視点を得たこと。それまで強い側からしか書けなかったのが、無抵抗でやられる側から書けるようになった。あれは転機だったな」
文明が崩壊した後のような風景、想像をはるかに超える人間の暴力性、そして「無抵抗で蹂躙される弱者の視点」を取り込んで生まれたのが、『北斗の拳』だった。
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