コネがない若手の道を拓き、人生を変えてあげたい
以前から漫画家の育成に興味があったんですか? と尋ねると、照れくさそうに笑った。
「もともと俺がそうだったでしょう。 漫画界になんのコネもないのに、たまたまチャンスをもらって、原作を書くようになっちゃったわけ。 そう考えると、この佐久市にも才能があるんだけど、道がわからない子がいるかもしれないって思ったんですよ。ひょっとして、道を拓いてあげたら面白いのが出てくるかなっていうのが一番の動機です。講師ならたくさん呼べるしね」
生徒の中には、一度は漫画家を志したものの、夢をあきらめていた人もいる。例えば、長野市から通う7期生の宮島徹さんはその1人だ。20代のころに漫画で受賞経験があったというが、その後はデザインの道に進んだ。長野市の書店で塾のチラシを見つけ、試験を受けて塾生となった。他の塾生たちと切磋琢磨しながら、雑誌デビューを目指している。
「武論尊先生は自分にとって神さまのような感覚で、最初は目を合わせるのも恐れ多いと思っていました(笑)。あだち充先生や青山剛昌先生みたいな、子どもの頃から読んでいた先生たちが作画や技術的なことを教えてくれるので刺激を受けています」(宮島さん)
映画が大ヒットした吉田修一氏の小説『国宝』のコミカライズ版を週刊ビッグコミックスピリッツで連載中の、三国史明さんも卒業生だ。
「あの子はデザインの仕事をしていて、漫画を描いたことがなかったの。でも、絵を見た時に変な雰囲気があるなあ、面白いなあと思ってね。自宅から車で1時間半ぐらいかけて通ってきて、半年ぐらいしたらスポンジが水を吸うようにみるみるストーリー作りを覚えてさ。それで、最終課題が編集者の目に留まってとんとん拍子。そういう子を見ると、塾を開いてよかったなと思うよね。ひとりの人生を変えているわけだから」(武論尊さん)
「塾生たちに『ヘタ』と思われたらアウト」
開塾から7年、やる気に満ちた塾生に囲まれて、武論尊さんはすっかり好々爺のように……というキャラではなかった。驚くことに、この7年間、毎回、塾生に出される漫画原作の課題を自分も提出しているのだ。その理由は「若いやつらには負けられない」から。
「講義の時間に、出版社の漫画編集者がみんなの前で課題を講評するんだよ。その時、塾生たちに『ヘタ』と思われたらアウトだろう。とにかく、あいつらを納得させないといけないんです。もし俺が上から目線でああだこうだ言ってたら、そんな塾、誰も来ないよ」

