歌舞伎を目にしたジョンの目に涙が…
「勘三郎が漁師を演っていたんです。歌右衛門の演じるのが子供をさらわれた母、狂わんばかりに子供を探し、流れ流れて隅田川までくると、漁師から子供は川に落ちて死んだと知らされて大狂乱、泣き崩れるという舞台です」と品子。真っ暗で陰気な舞台、セリフもなくて清元で演っていた。
「出ましょうか」と木村が尋ねると、ジョンの頬に止めどなく涙が流れていた。その顔をヨーコが通訳をしながらハンカチでぬぐっている。
「ジョンは泣いて、泣いて、セリフはわからなくても歌舞伎を心から理解しているようでした。本ものは本ものを見るとわかるのでしょうか。彼の感動が伝わるようでしたよ」と品子は回想する。
「隅田川」が終わると次は海老蔵の華やかな舞台が始まった。ところが、ジョンは目を背けて「ノー」と言った。
〈私は精魂込めて集めたものを安易に外国人に渡したくないと思っていましたが、こんなに心の美しい人には本当に良いものを見せてあげたいと思うようになりました。この仕事をして50年になりますが、説明のいらなかった客はジョンが初めてでした(※)〉と木村東介はのちにこう振り返っている。
「このアルバムは“シブイ”のです」
水原(編集部注:も羽黒洞で芭蕉などを買ったことや歌舞伎座のことをヨーコから聞いていた。ジョンの日本文化への憧憬と興味は尽きない様子だった。俳句について、禅について彼はどう思っているのだろうか。
水原が聞いてみるとジョンはこう答えた。
「俳句はもっとも美しい詩だと思う。これから自分の書く詞も短く簡潔に、俳句のようにしたい。こんどのアルバムはとてもシンプルな詞で、音楽もとてもシンプルです。禅のスピリットですよ。あの言葉は......ヨーコ、何と言ったっけ?」
ジョンはここで言葉を止めてヨーコに訊ねた。「渋いという言葉ね」。ヨーコの返事を聞くとジョンは改めてこう言った。
「このアルバムは“シブイ”のです」
※=「JOHN ONO LENNON 1940-1980」宝島2月臨時増刊号/JICC出版局/1981年