山中まで引きずられ“喰われた”事例も…
クマ被害の事件としては、かの有名な「三毛別事件」がある。大正時代の1915年、北海道の苫前村の開拓民の集落でヒグマに襲われた10人のうち、死亡した7人の女性と子供らは、内臓や妊婦の胎児から食われていたと記録されている。
我らの同業者でもあったネイチャー・フォトグラファーの星野道夫さんがロシアのカムチャッカで襲われてしまったのもヒグマである。なおその際は、テレビ番組のロケ中だったという。星野さんはテントで寝ているところを襲われたとみられる。
今年の10月17日には、岩手県北上市で男性が襲われ山中にまで引きずられたあげくに食われるという、すさまじい事例もある。
自衛隊員では駆除ができない
また2021年、陸上自衛隊丘珠駐屯地にクマが侵入した際も、屈強な自衛隊員がヒグマにちょこっと体当たりされただけで負傷している。その際、クマを駆除したのは自衛隊員ではなく猟友会のハンターであった。
自衛隊は野生動物を駆除する目的で武器を使用できないと、法律で活動を制限されているからである。
本来はこの時にでも、自衛隊の野生動物に対する武器使用について、法整備をすべきだったのではないか。クマとの戦いは近代に入ってから現在に至るまで続き、これからも延々と続くのではないかという不安に襲われる。
しかし今までは、クマもヒグマも用心深く人間を怖がり、山間部深くに生息しているはずだった。そして本来は、降雪が始まる季節の前には冬眠しているはずだったのである。
そのクマの主食とされる山の木の実の不作が、出没増加の要因と言われている。腹をすかせたクマが冬眠前に栄養をとるために人里に下りてきて、農作物を荒らす。それだけでも大事件なのに、次々と人まで襲い始めたのである。そんなクマをこれまで退治してきたのは、民間ハンターだけだったのである。
