タイ研究の第一人者で秋篠宮と40年にわたって交友関係にある大阪外国語大学名誉教授の赤木攻氏(81)が、ジャーナリストの江森敬治氏の独占取材に応じた。
赤木氏は秋篠宮の“最側近研究者”の一人であり、秋篠宮家の学術顧問を務める人物だ。過去の秋篠宮のタイ訪問に「20回以上、同行してきた」(赤木氏)という。約34年にわたり秋篠宮と親交のあるジャーナリストの江森氏が、秋篠宮との交際の軌跡を赤木氏に聞いた。現在配信中の「週刊文春 電子版」および12月4日(木)発売の「週刊文春」より、冒頭部分を抜粋してお届けする。
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「40年間にわたり、間近で接する機会を」
冒頭、今年11月30日に60歳の誕生日を迎えた秋篠宮にこんなコメントを寄せた。
「秋篠宮殿下、還暦、本当におめでとうございます。僕はそのうちの40年間にわたり、間近で接する機会を得ました。特に50歳を過ぎて『皇嗣殿下』となられて、仕事がたくさん増えた。大変だなと思う反面、50代のここ10年で、人間として大きく成長されたと思います」
19歳の秋篠宮とタイで出会い…
――赤木先生が初めて秋篠宮さまにお会いしたのは、1985年8月。19歳だった秋篠宮さま(当時礼宮文仁親王)が、友人や先生たちとともに、初めてタイを調査訪問された時のことでしたね。
「僕は当時、タイの日本大使館で専門調査員をしとったんですね。そんなある時、大使に呼ばれて、『(昭和)天皇の孫が来ると。案内役をしてくれないか』と言われた。失礼な話ですが、当時、僕は皇室にそれほど詳しくなく、礼宮と言われてもピンと来なくて一度は断った。それを『日本側からの推薦もあるし』と押し切られて」
――秋篠宮さまはこの調査旅行をきっかけに、タイとの関係を深められました。
「この旅行で印象に残っているのは、バーンパインという離宮に行った時のことです。池に鯉などの魚が泳いでいるのですが、その中に、とにかく大きな魚がいた。殿下は、ずっとそれをご覧になっているんです。大きなパンを餌にやると、パッと食べる。後に殿下はプラー・ブック(世界最大級の淡水魚。和名はメコンオオナマズ)の研究をしますが、今から考えると、そこで大きな魚に魅入られたんと違うかな」
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《この続きでは、赤木氏が明かした「タイの一夜」秘話、留学先からの連絡、紀子さまから受けていた小室圭さん&眞子さんの結婚に関する相談などを詳しく報じている。記事の全文は現在配信中の「週刊文春 電子版」および12月4日(木)発売の「週刊文春」で読むことができる》

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