「どうも太ももが折れちゃったみたい」

 私にも子供が二人生まれて、それなりに子育てにも追われるようになっていたある冬の朝早く、突然母から電話があった。ちょっと動けないので実家まで来てくれという。慌てて駆けつけてみると、母が床に寝そべって布団にくるまっているではないか。そして「明け方に転倒して、どうも太ももが折れちゃったみたい。お父様は眠っているから起こさないようにしてあげて」と言った。

 兎も角119番に連絡して救急車を待つ間に物音を聞きつけてのっそりと父が顔を出した。

 経過を話すと「ええっ!?」とかなり動揺してみせたが、「あとはよろしく頼む」と言ってまた寝室に戻ってしまった。隣の部屋で寝ている父に助けも請わずに、兎に角睡眠を邪魔しないようにしながら痛みに耐えて電話口まで這って行き、私に電話をかけてよこした母。健気といえば健気だけれども、大怪我した妻を放ってあとはよろしくとまた寝てしまった父と共に変わった夫婦だと言わざるを得まい。

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 母の入院中、私はケアマネージャーを手配して相談に乗ってもらいながら転倒防止の手摺などの対策をすることで、初めて親の老後と介護を意識するようになった。

 石原家は芸能プロダクションみたいなもので、父が大物タレント、母が社長として采配をふるっていたように思う。父が脳梗塞で倒れた時は、母がしっかりと対処したし、政治家をやっているうちは事務所が業務の大部分を請け負ってくれたけれども、引退後はそれまで通りにはいかなかっただろう。

若かりし両親の写真 ©文藝春秋

 そんな状況の中で、今度は石原家の司令塔(母)が、以前心臓の弁の手術をした時に指摘されていた動脈瘤の手術に踏み切る。当初は開胸で手術をする予定であったが、医師である義姉を中心に皆で反対して、体に対して負担の軽いステントを入れることにした。

 それでも術後は負担から心不全気味となって肺の機能が低下してしまい、すわ危篤か!?と家族全員が病院に集合したことすらあった。幸いなことに、その後母は持ち直してくれたけれども、この先あの我が儘な父を世話し続けるのは流石に不可能だろうということで、施設に入ることとなった。