末期がんで急速に衰弱していった父・石原慎太郎。激痛に耐えきれず「どうしても浣腸をしてほしい」と助けを求めた夜、四男・延啓は“確実に死に向かっている”父の現実を悟る。少しでも苦痛を和らげるべく手を尽くす中で見えてきた、最期の日々の切なさとは――。四兄弟(石原伸晃・良純・宏高・延啓)が、それぞれの視点から家族の記憶・想い出を綴ったエッセイ集『石原家の兄弟』(新潮社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む)
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2022年2月1日――父・石原慎太郎逝く
本人も周りもどこか諦めてしまう雰囲気があったが、ここで父の元秘書で独立した後は実業家として何かとサポートして下さっていたHさんが、水素を吸引すると治療の効果があるらしいと教えてくれて、長野まで機器を借りに行くなど民間療法も積極的に試して、なんとか踏みとどまって回復へ向けて頑張ろうとした。
漢方が良いと聞けば漢方薬を調合してもらったり、そう言えば旧知の医者で父と共著もある石原結實先生が提唱しているりんごにんじんジュースがあったと思い出して、毎日家で作って届けたりした。そうした中、父が一番喜んだのが生姜湿布。温めた生姜の搾り汁に手拭いを浸して搾り、それをお腹に当てる。こんにゃく湿布も同様に施した。こういった治療法にどの程度の効果があったのかは分からないが、個人的には闘病中の父との円滑なコミュニケーションの場を作ってくれたのは確かだった。
しかし、父はほぼ医者が言った通り、2月1日に世を去った。
