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自民党は党内改革を先にしないと説得力がない

――小泉さんが同会議の立ち上げに合わせて仕掛けた『文藝春秋』の座談会では、現政権への批判を踏まえながら「国会の行政監視機能強化」を強く打ち出していた。しかし、実際に出てきた提言を読んだら、その理念は骨抜きになっていました。

泉 超党派の国会改革は「平成のうちに」ということで始めていますから、大きな改革よりも何らか着手することに主眼が置かれています。なので「中身はどうかな」という面はあります。「平成のうち」と時間を区切れば、大胆な改革はできないということは、われわれも始めから想定していたことです。

玉城 私も立憲さんの案を拝見しました。我が党の考えと非常に近い。ただ、小泉さんたちが出してきたものはまだ見ていませんが、国会改革は党内改革にもつながるでしょうし、特に自民党は党内改革を先にしないととてもじゃないけど国会改革はできない。そこはやっぱり、大きな政党は責任を持って、自浄能力をもっと高めてからでないと説得力はありませんよ。

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泉 超党派議連で自民党議員は、「野党の質問通告が遅い。働き方改革が迫られている中、野党の国会対応が役人の深夜残業を増やしている」と主張します。でもそれは、ものすごい誤解であって、最終的に国会日程を決めているのは与党なわけですよ。深夜国会が無駄とも言われますが、深夜国会を開く権限を持つのも与党なわけです。

 審議を強硬に進めたい与党が前日夕方に国会日程を無理やり入れるから、野党はそこから質問通告を行うことになる。役所に質問通告できるのはどうしても夜遅くになってしまいます。それを改善したいならば、少なくとも2日前には委員会の日程はセットするというような改革案を与党の側から提示すべきでしょう。

辻元 そんなこと何回もあったよね。

自民党の国対には評価を聞いてみたい

泉 与党から見ている国会改革は、与党に都合の良い改革になりがちです。今の国会は、サッカーに例えるなら与党によるオフサイドも、ハンドも見逃される中で戦わされています。総理が予算委員長と会食して、「集中審議は勘弁して」とお願いする時代ですよ。レッドカードやイエローカードをもらいそうになっても、与党だけは自分たちで手心を加えている。

 

辻元 安倍さんは、常に天動説。自分が中心で周りが動いているように見えている。今回は、「それでも地球は動いている」と真実を訴え続けなければならない野党はどこまで力を発揮できるか、実験みたいな国会でもありました。うまくいったかどうか、少なくとも自民党の国対には評価を聞いてみたいね。

玉城 ぜひ聞いてみたい。

辻元 次は与党の座談会も企画して!

――自民党の国対委員長が応じそうならぜひ企画したいですね。今日はありがとうございました。

「私が黄門さまになってもええ?」

 座談会終了後、急いで部屋を出たはずの泉氏が、笑顔で戻ってきた。

「みなさん、サプライズゲストです!」

 現れたのは、自民党の森山裕国対委員長だった。

「みんな揃って話しているんだったら、私も混ぜてくれればいいのに~」

 穏やかな口調で話す森山氏に、仇敵であるはずの辻元氏はすかさず記念撮影を要求した。

「森山さんが助さん、泉さんが角さんで、私が黄門さまになってもええ?」

 マスメディアでは「違い」が強調されている三政党の三氏が和気藹々とポーズを取る様子を傍から眺めながら、筆者は国対政治の奥深さを噛みしめたのであった。

自民党の森山裕国対委員長(写真右)がサプライズで登場

辻元清美(つじもと・きよみ)

1960年奈良県生まれ。早稲田大学卒業。学生時代にNGO「ピースボート」を創設し、若手論客としても頭角を現す。96年、土井たか子社民党党首にスカウトされ、衆議選で初当選(比例近畿ブロック)。NPO法を議員立法で成立させる。2002年、秘書給与流用事件を受け議員辞職するが、05年の衆院選で国政復帰(比例近畿ブロック)。民主党政権で国土交通副大臣、首相補佐官、民主党役員室長、民進党幹事長代行などを歴任し、17年、立憲民主党を結党。党国会対策委員長に就任。現在、当選7回(大阪10区選出)。

 

泉健太(いずみ・けんた)

1974年北海道生まれ。立命館大学卒業後、福山哲郎参院議員の秘書を経て、2003年の衆院選で初当選(民主党公認、京都3区)。その後、連続当選を果たし、補選も含め現在当選7回。若手時代は民主党青年局長、民主党政権では内閣府政務官を務める一方、国会では主に国対畑を歩む。10年、河野太郎氏、細野豪志氏らとともに「ねじれ国会」の打開に向けた国会改革を超党派で提唱。17年、希望の党国対委員長に就任。18年、国民民主党の結党に参画し、党国対委員長に就任。

 

玉城デニー(たまき・でにー)

1959年沖縄県生まれ。上智社会福祉専門学校卒業後、福祉施設職員、内装業などを経て、琉球放送の人気ラジオ番組でパーソナリティを務める。2002年、沖縄市議会選挙でトップ当選(無所属)。05年から国政進出を目指し、09年の衆院選で初当選(民主党公認、沖縄3区)。小沢一郎氏を師と仰ぎ、12年の民主党離党後も、国民の生活が第一、日本未来の党、生活の党など小沢氏と行動をともにしながら、連続当選4回を果たす。現在、自由党幹事長兼国対委員長。

写真=佐藤亘/文藝春秋