「合格までの道筋を戦略的に考えた」偏差値45から70超えになれたワケ

――大学受験前の模試では、偏差値45から70超えになったとTikTokで投稿していて、驚きました。

美波 受験勉強をはじめたのは高校2年生の冬で、一般的にはだいぶ遅いスタートだったかもしれません。だから、合格までの道筋を戦略的に考えたんです。英語はしゃべれるので試験を免除してもらえる制度に頼って、苦手な数学は捨てて、小論文と日本史を重点的に勉強しました。

 女子大附属の学園だったので、内部進学も多かったんです。だから、受験組の同級生を集めて、おたがいに日本史の問題を出し合ったり、暗記した歴史の年表を黒板に書いて発表し合ったりして、乗り越えました。

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――受験勉強の努力が実り、名門私立の上智大学に合格。ただ、内部進学の方が楽なイメージですが、なぜ別の大学に進んだんですか?

美波 学校にかぎっては、幼稚園から高校まで親が決めた進路に沿って生きてきたので、環境を変えたくなったんです。上智大学を選んだのは、国際協力に関心があったからです。国際連合(以下、国連)で経験を積まれた先生もいて、「大学で学ぶなら上智しかない」という一心で受験勉強に集中していました。

――大学へ入学する以前から、国際協力に熱心だったそうですね。

美波 中学2年生のとき、学校に来たフォトジャーナリストの方の講演を聞いて、発展途上国の子どもたちの現状を知ったのがきっかけで。私と同世代の子たちが、水すらも満足に飲めない環境で生きていることに衝撃を受けました。

高校時代に国際協力の一環でカンボジアに行き、大学時代にはNGOを設立

――Xでは、国際協力の一環でカンボジアへ渡ったとも明かしていました。

美波 高校時代です。現地ではたくさんの取り組みがあって、その1つが、小学校に通いながら児童労働を強いられている子どもたちとのふれあいでした。

 現地の売店で働く子どもたちに、算数や数学の楽しさを伝え、学びと仕事をかけ合わせれば将来的に職業の選択肢も広がる、と知ってもらうための活動をしていたんです。その様子はSNSでも発信していました。

 

――美波さんが高校時代に書いた論文がUNESCO(国連教育科学文化機関)で評価され、若者が社会課題の解決策を提案して競い合う国連の「ユースサミット」では、通訳も担当されたそうですね。

美波 子ども食堂のボランティア経験もあったので、日本における相対的貧困の問題と、海外における貧困の問題を比較する論評を書いたんです。通訳は高校3年生のときで、日本で開催された「ユースサミット」で日本や海外の参加者が文化交流をはかる時間があり、私は英語で伝統芸能を紹介しました。