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生産量とか、効率とか。そんなん、自分には無理やなと

――そこから今度は保育所勤務。

岡田 地球儀作るのやめて、今度は保育所行ったんです。仕事の紹介所で募集を見つけましてね。僕、昔から競争が苦手なんです。中学の時に野球部やったんですけど、チームの中のレギュラー争いとかイヤでねえ……。仕事も大概は競争になるものが多いでしょう、売り上げとか、生産量とか、効率とか。そんなん、自分には無理やなと思ってたら、保育所の仕事が目に飛び込んできて「あ、これや」って思ったんです。言うたら、子どもと遊んでる仕事でしょう。もちろん遊ぶだけが保育の仕事やないけれど、生活そのものが仕事になっているって感じたんです。それで、そこは「共同保育所 いどばた」って名前の、いわゆる無認可の保育所ですわ。手伝わせてもらうことになって、だんだん面白くなってきて、結局そこが閉じるまで11年働きました。

 

――11年! もともと子どもが好きだったんですか?

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岡田 全然そんなことないです(笑)。だんだん好きになったのかな。そこで絵本の読み聞かせもするでしょう。それが絵本との出会い。僕、子どものころに絵本読んだ記憶ないんですよ。テレビっ子やったから、『ウルトラQ』とかは覚えてるんやけど。保育所で働きながら初めて「絵本って、おもろいな」って思ったんですね。

――そこで、どんな絵本に出会ったんですか?

岡田 たじまゆきひこさんの『じごくのそうべえ』とか、片山健さん、長新太さんの本。にしまきかやこさんの『わたしのワンピース』って本がありまして、その本を読み聞かせるときは「わたしのワンピイス~」って、節つけて始めるの。わかる? この節回し。

「これは友達の作品」

――ええと、聞いたことあるメロディですね。なんでしたっけ。

岡田 「わたしの城下町~」。小柳ルミ子。

――子ども、わかんないでしょう(笑)。

岡田 面白がってたよ。

「全日本オールヌードマラソン」が絵本作家への一歩だった

――それで、展覧会がきっかけで絵本の編集者に会うんですよね。

岡田 地球儀の会社や保育所で働きながらも、やっぱり絵が描きたくなって、友だちとグループ展みたいなのはやってたんですよ。それで、保育所が閉鎖したちょうどその頃に、自費出版で画集を作ったんです。それが知り合いのギャラリーで個展をやっていた美濃瓢吾さんの目にとまって、自分たちは東京でグループ展やってるから参加せえへんかと声をかけてくださった。「人人展」というもので後から知ったんですが、田島征三さん、井上洋介さん、片山健さん、スズキコージさんといった、保育所で馴染んだ絵本作家の方々も出品してる。

 

――それで絵本編集者の人が会場に来て、岡田さんの絵に出会うと。

岡田 ところが、よりによって出品したのが「全日本オールヌードマラソン」っていう連作で、裸のおっさんが町中とか山ん中を走り回ってる絵。一部ヒンシュクも買いましてね(笑)。福音館書店の編集者が「これを描けというわけじゃないですよ」って、えらい念押しされました。まあ、こんなふうに巡り巡って、絵本作家になったというわけです。