イカリング、サンマの開き、納豆などなど、身近な食べ物を主人公に、独特すぎる絵本作品を発表し続ける岡田よしたかさん。インタビュー後編では、「絵本作家になるつもりはなかった」という岡田さんが42歳でデビューするまでの数奇な人生をお伺いしました。(#1より続く)
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ミュージシャンになろうとしてた
――岡田さんの作品で、一番売れたものって、どの作品になるんでしょうか。
岡田 『うどんのうーやん』やないかなあ。
――2012年に刊行されて、現在32刷ですね。『うーやん』をお描きになったのは56歳のときですが、福音館書店の『おおきなポケット』に描かれた「あやまりたおす人々」で絵本作家デビューされたのは……。
岡田 42の時ですね。こっちだって絵本作家になるつもりなかったんですよ。
――さっき、画家をされていたと聞きましたが。
岡田 絵で食っていけるとは思ってませんでしたから、違う仕事をやりながら、自分の描きたい絵を描いていければいいなと思ってたんですよ。デビューはあるグループ展に参加させてもらって、それを見た福音館書店の編集者が声をかけてくれたことがきっかけです。それまでは、地球儀のメーカーとか、保育所で働いてました。プー太郎時代もありましたよ(笑)。
――プーの時代もあったんですか。
岡田 愛知の芸大(愛知県立芸術大学)を卒業したんやけど、そのときに「もう、やりたいことはやった」って気持ちになって、描くのやめてしまったんです(笑)。普通は、そこから画家の道が始まるのに、僕は余った画材を友だちにあげたりして自分で自分の始末をしたんです。それで、ミュージシャンになろうと思ってね。
――あららら。
岡田 パッとせんでしょう。この道も諦め、実家に戻って就職はせんと、アルバイトでしのいでました。20代後半は何も描かず、絵から離れてました。
「あの地球儀作ったの、わしや」
――バイトは何してたんですか?
岡田 それがさっき言った地球儀の会社ですわ。地球儀を組み立ててました。そこで仕事しているときに、『利休』っていう映画で当時の地球儀を小道具で使うから、レプリカを作ってくれっていうのがあったんですよ。天理大学が所蔵している、400年くらい前の地球儀。それを着彩したんです。で、映画観に行ったら、オープニングのタイトルバックに、地球儀がバーンって写ってね。
――ちょっと感動。
岡田 劇中も、随所に出てくるんですわ。織田信長がポルトガルかどっかから受け取るシーンとか、火事の中を大事に持って逃げるシーンとか。主役級の小道具ですよ(笑)。それで、最後に僕の名前出るかな、なんて期待してたら「協力 天理大学」としか出えへんの。会社の名前すらない。映画館に観客が5、6人しかおらんかったから、「あの地球儀作ったの、わしや」って言い回ったろうかと。