先日、朝日新聞に「練習直後に倒れ…亡き女子マネジャーへ、捧げる2本塁打」という見出しの記事が掲載されました。昨年の夏、練習直後に倒れその後亡くなった女子マネジャー。彼女への思いを胸に県大会を戦った、ある高校の野球部員たちの記事です。「気づけば周りに人が集まる明るい性格」の彼女は、寮生活でホームシックにかかった部員を「私のことをお母さんだと思えばいいじゃん」と励ますなど、部員たちの心の拠り所となっていたようです。チームは惜しくも準々決勝で敗退しましたが、3回戦で2本塁打を打ったのは、まさにホームシックにかかっていた部員でした。
この女子マネジャーのことは、かすかに記憶に残っていました。朝日新聞の過去記事を検索してみると、昨夏の記事がすぐに見つかりました。
選手たちと走った直後に倒れる
事故が起こったのは7月下旬の午後8時ごろ。学校から約3.5km離れたグラウンドでの練習が終わると、選手たちはいつもと同じように学校まで走って帰り始めたのですが、その日はケガをした部員をマイクロバスに乗せるため、いつもはバスに乗るマネジャーも選手たちと走って戻ることになりました。25分ほど走って学校についた直後、マネジャーはしゃがみこんで倒れます。その15日後に、彼女は低酸素脳症により亡くなりました。
倒れた彼女のもとに駆けつけた監督が「呼吸は弱いけれどある」と判断し、救急車が来るまでAED(自動体外式除細動器)を使用しなかったことを問題視する後日記事もありました。事故当時の記事と今回の記事は、別の記者によって書かれています。
AEDを使えば彼女が助かったのかどうかを、少ない情報から判断することはできません。熱中症が低酸素脳症を引き起こすこともありますが、彼女がそうであったかどうかもわかりません。ただ、全国高校野球を主催する新聞社としては、美談調の記事にまとめる前にやるべきことがあったのではないでしょうか。このような事故は、決して少なくはないからです。
時代はさかのぼりますが、ある事例をご紹介します。今から51年前、1967(昭和42)年、陸上自衛隊のレンジャー訓練中に起こった死亡事故です。その責任をめぐる裁判の記録から、事故にいたる経緯をたどってみます。