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危険なのは「本人の意思」 高校野球と自衛隊「真夏の事故」はなぜ防げなかったのか 

悲しみのあとに「本人の意思を尊重した」は意味をなさない

2018/08/08

昭和42年、ある自衛隊員の「真夏の事故」

 19歳のAさんは、所属する小隊の訓練がない時はタイピストとしても働く一等陸士でした。九州の駐屯地でレンジャー集合訓練が行われることになり、Aさんは小隊の班長に訓練参加を申し出ます。班長は了承したものの、7年にわたって助教(教官の補佐)としてレンジャー訓練を指導してきたB三等陸曹(以下、B助教)は、Aさんの「柔和な体型」を見て、訓練についていくのは難しいのではないかと彼に伝えます。それでもAさんは参加を強く希望し、中隊長の許可を得て体力測定を受け、ほとんどの種目で基準以上、むしろ優秀な部類の成績を収めたため、訓練への参加が正式に認められました。

 訓練は9月25日から始まりました。裁判記録によればレンジャー訓練とは「困難な状況を克服して行なう潜行、伏撃、襲撃等の諸行動に関する能力及び精神力を付与する目的」で行われる厳しいもので、12月初旬まで続く予定でした。とはいえ25~29日の訓練は講義中心で、自衛官たちにとってはそれほど厳しい内容ではありません。この間の最高気温はおおよそ26~27℃、湿度も65~75%と、日によってはやや蒸し暑く感じられる程度の気候でした。

 Aさんも元気に訓練をこなしていましたが、28日になると小さな変化があらわれます。腕立て伏せ、懸垂、うさぎ跳びなどの「体力調整運動」を行ったあと、約2kmの持久走が始まるとAさんの顔色は悪くなり、他の隊員から遅れてしまいます。

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 Aさんの異変に気づいたB助教は、本格的な訓練の初日となる30日の訓練は休んで、医師の診察を受けるように指示します。ところがAさんは訓練を続けたいと切望します。隊長と助教はその希望をいったん聞き入れ、30日の訓練での様子を観察した上で、それ以降の参加の可否を判断することにしました。

 翌29日は、銃剣を使った格闘訓練が1時間あったほかは、講義だけで訓練は終了。しかし30日からは、体育課目は3時間となります。午前9時から体力調整運動が始まり、2セット目になると隊員たちの何人かは疲労の色を見せ始めます。とくにAさんは懸垂では鉄棒にぶら下がることさえもできず、ずり落ちてしまうほど疲労は明らかでした。

気温28℃、湿度75%。不快指数79

 短い休憩のあと、午前11時になると隊員たちは持久走のスタート地点までの1kmほどの道を、約10分かけて徒歩で移動しました。約2kmのコースは駐屯地周辺の住宅地で、アスファルト舗装されているため照り返しはあるものの樹木もあり、ところどころ木陰がありました。天気は晴れ、駐屯地内での正午の計測では気温28℃、湿度75%。これは不快指数に換算すると79で「やや暑い」レベルです。

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 隊員たちは作業服の上下に作業帽、半長靴、弾帯は着用するものの軽武装です。走行中は上着を前開きにして、腕まくりをするよう指示されていました。あくまでも完走が目的で速さは求められておらず、疲れたら隊列から離れてゆっくり走ることも許可されていました。2日前の持久走で遅れてしまったAさんは、この日は隊列の先頭で走り、全体が彼のペースに合わせることになりました。