「日射病による急性心臓衰弱」
ゆるやかな起伏をいくつか越え、ゴール地点は400mほどの緩い上り坂の上にありました。坂に差しかかり約100m、Aさんは急激にペースを落とします。すぐ後ろを走っていたB助教は彼を隊列の外に出し、走るのをやめさせようとしますが、Aさんは助教の手を振り払い走り続けました。80mほど走ったところでAさんの足がもつれ出し、そして意識を失います。倒れそうになった彼の腕をすかさず別の助教と隊員が支え、そのまま道路沿いの木陰まで運び、寝かせました。
助教と隊員はAさんの作業着をゆるめて、帽子をあおいで風を送りながら15分ほど様子を見ましたが、Aさんの意識は戻りません。助教たちは通りがかったタクシーを止め、Aさんを1km先の駐屯地医務室に運びました。
2日後、Aさんは同じ医務室で息を引き取りました。死因は「日射病による急性心臓衰弱」とされました。
意識がない時点ですぐに救急車を
助教・隊員たちの救護措置について、判決文にはこのようにあります。
「C助教及びD三曹はAが日射病に罹患したとは判断できないまま(…)措置を行ったが、現場でのC助教らの措置は概ね妥当なものであった」
「日射病に罹患した者に水をかけるなどの応急措置は本件事故当時必ずしも医学常識として一般に浸透していなかった」
ちなみに文中には「日射病」とありますが、「暑気あたり」「熱射病」「熱けいれん」「熱性虚脱」などの症状と日射病との違いは曖昧で、細かく分類すると重篤度の判別も難しくなってしまいます。そこで日本救急医学会の「熱中症診療ガイドライン2015」(https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-10800000-Iseikyoku/heatstroke2015.pdf)ではこれらをすべて「熱中症」と総称し、重篤度と必要な措置で分類しています。
Aさんの場合、明らかに意識障害と手足の運動障害が起こっており、Ⅲ度の熱中症である「熱射病」ということになります。
熱中症をめぐる「医学常識」はまだまだ浸透していない
さらにガイドラインでは、現場での対処が可能なのはⅠ度までとなっています。
Ⅱ度以上はすぐに医療機関の受診が必要で、Ⅲ度では採血や入院、場合によっては集中治療が必要とされています。意識がない、もしくは混濁している時点で救急車をすぐに呼び、その到着までは首、脇の下、太ももの付け根を氷のうなどで冷却し、さらに濡らしたタオルを体にかける、うちわであおぐなど、できる限りの応急措置をすることが必要です。
注意しなければならないのはⅡ度以上の症状の場合、応急措置はあくまでも重篤化を食い止めるためのものであって、「熱中症の治し方」ではないということです。呼びかけにしっかりと答えられなければ、それはすでに応急措置では対処しきれない症状なのです。
Aさんの場合、現在の「医学常識」があれば救われた命だったのかも知れません。しかし、今でも毎年のように熱中症による死亡事故が起こっている以上、常識が「一般に浸透」していないのは現在も同様と考えるべきなのでしょう。