ついに無罪が確定
1985年11月8日、判決公判において裁判長は「検察側の訴追が理性ではなく人種差別主義、そして開示ではなく隠蔽に基づいている」と指弾、カーターに無罪・釈放を言い渡す。この決定に検察側は控訴するも、1987年11月に裁判所はこれを棄却。その後、検察が上訴を断念したことで無罪が確定する。
事件から22年、カーターは50歳になっていた。1993年、カーターは世界ボクシング評議会(WBC)より、世界ミドル級チャンピオンベルトを授与される。現役選手以外に授与されたのは世界初だった。
また、私生活では1963年に結婚した女性と無罪判決前年の1984年に離婚。無罪確定後、釈放運動に関わった女性と再婚した(6年で破局)。
元死刑囚の袴田巌さんにもエール
1999年、カーターの実話を題材としたデンゼル・ワシントン主演の映画「ザ・ハリケーン」が公開され、釈放運動に尽力した実在の黒人少年レスラ・マーティン(1963年‒)に注目が集まる。
極貧家庭で育ち、カナダ人の扶養者グループのもとに身を寄せていた彼が、街の本屋で偶然見かけた『第16ラウンド』を25セントで購入したのが1980年。同じ黒人で、似たような境遇で育ったカーターに感銘を受けたマーティンは獄中のカーターに手紙を出し、ニュージャージー州トレントンの刑務所で面会を果たす。こうして2人の交流が始まり、マーティンはカナダ人グループとともにカーターの釈放運動に精力的に参加する。
無罪確定5年後の1992年に2人の出会いと友情を著した『レスラとハリケーン』を出版、これが映画の題材となり、現在、マーティンは弁護士として活躍している。
こうしたマーティンとの関係もあって、釈放後カーターはカナダ国籍を取得し、1993年から2005年まで冤罪被害者擁護協会の事務局長に就任。同じ元ボクサーで同じ1966年に4人を殺害した犯人にでっちあげられた元死刑囚の袴田巌さんにも「今度は東洋のハリケーンというべき袴田が自由になる番だ。フリー、ハカマダ!」のエールを贈った。
