自伝発表を機に「釈放運動」が勃発

 その傍ら、1974年に無実を訴える自伝『第16ラウンド』を獄中で執筆。この本がきっかけで、全米でカーターの釈放運動が起こり、元ヘビー級チャンピオンのボクサー、モハメド・アリ(1942‒2016)は彼の無罪を訴える抗議デモに自ら参加し、獄中でカーターに面会したボブ・ディラン(1941‒)は1975年、冤罪と闘うカーターを支援する楽曲「ハリケーン」を発表した。

 こうした世論に加え、ベロとバレンタインが改めて目撃証言を撤回したことで、ニュージャージー最高裁判所は両受刑者の釈放を決定。弁護側の請求した再審も認められ、1976年に再び公判が開かれた。が、目撃者ベロが三度証言を撤回。あの夜、見たのは間違いなくカーターとアーティスだったと供述したことで彼らは再び有罪判決を下され、刑務所に収監される。

 5年後の1981年、共犯者のアーティスが仮釈放。翌1982年、カーターの弁護団が1976年の判決を不服として起こしていた控訴を最高裁判所が棄却。対して弁護側は最高裁ではなく、ニュージャージー連邦裁判所に人身保護令状を請求し、この審理が認められる。カーターは法廷で真摯に主張した。

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「子供のころからの差別に関わる違法逮捕。私はリングで人を倒したりはしましたが、それ以外の場所で殺したことはない。差別により人間以下の扱いを20年以上受けています。これまで正義に従い生きてきました。正しい裁きを下してほしいと心から願います。判事の良心や崇高な道徳・法律に従い、どうか証拠を見直してください」