1986年、オーストラリア南西部の港湾都市フリマントルで半裸の少女ケイト・モア(当時17歳)が家電量販店に飛び込んできた。彼女は一組の男女に誘拐・監禁されていたところを命からがら逃げ出してきたのだという。

 この少女の通報がきっかけで、オーストラリアを震撼させた「ムーアハウス連続殺人事件」が発覚した。2人はなぜ死刑にならなかったのか? 事件のダイジェストを、鉄人社の文庫『世界の殺人カップル』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。

崩壊家庭で出会った殺人カップル

 事件の主犯であるデヴィッド・バーニーは1951年、パースの郊外で5人兄弟の長男として生まれた。10歳のとき両親が離婚し、養護施設に送られるという不遇な少年時代を送る。彼の性的逸脱は早くから顕在化し、15歳の頃には下宿先の老婦人にレイプ未遂の罪を犯した。

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 一方、同年生まれのキャサリンもまた、2歳で母親を亡くし、厳格な祖母に育てられた。共に崩壊家庭に育った2人は14歳頃から交際を開始するが、窃盗を共に働いたことで少年院に入れられ関係は破局する。その後、それぞれ別の相手と結婚するが、再会した1985年、共に34歳のときにキャサリンは7人の子供がいる家庭を捨て、デヴィッドのもとに身を寄せた。

 新生活が始まったが、デヴィッドの異常な性欲はキャサリンの予想を遥かに超え、1日最低6回のセックスを求められた。体力的に限界を感じた彼女がセックスの回数を減らすよう提案すると、デヴィッドは「おまえの代わりとなる女性を誘拐し性奴隷にしたい」と驚くべき提案をする。夫に依存しきっていたキャサリンはこの恐るべき提案を受け入れた。

4人の女性を強姦殺人

 1986年9月下旬、デヴィッドは新聞に「独身女性求む。18歳~24歳の女性を希望。1人部屋を無償で提供します」という広告を出し、これに応じた22歳の女子大学生メアリー・ニールソンを最初の犠牲者にした。

 その後も犯行を重ね、15歳のスザンヌ・キャンディ、31歳のスチュワーデスのノエリーン・パターソン、21歳のコンピューター・オペレーターのダニーズ・ブラウンと、4人の女性を強姦し、殺害した。

写真はイメージ ©getty

 特に注目すべきは、犯行の背景にあったキャサリンの嫉妬である。デヴィッドが犠牲者たちを何日もかけて乱暴する様子を見て激しく嫉妬し、「ノエリーンを殺して!できなければ私が自殺する!」と絶叫するなど、被害者の殺害を強く求めたこともあった。

その後の2人は…

 連続殺人事件の幕切れは、5人目の被害者になるはずだったケイト・モアの機転によってもたらされた。彼女は鎖で繋がれながらも、キャサリンと意図的に親密な関係を築き、油断させることに成功。

 チャンスを見計らって脱出し、警察に通報した。

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