歪んだ欲望を抑えきれず、女性4人を強姦殺害。斧で滅多打ち、バラバラにされた被害者も⋯⋯。1986年のオーストラリアで起きた凶悪事件「ムーアハウス連続殺人事件」。なぜ夫婦は残忍な殺人を繰り返したのか? 逮捕された2人のその後とは? 第1回では「夫婦の誕生」について、文庫『世界の殺人カップル』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全3回の1回目/続きを読む

写真はイメージ ©getty

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オーストラリアを震撼「ムーアハウス殺人事件」

 1986年11月10日、オーストラリア南西部の港湾都市フリマントルの家電量販店に半裸の少女ケイト・モア(当時17歳)が飛び込んできた。なんでも、一組の男女に誘拐・監禁されていたところを命からがら逃げ出してきたのだという。話を聞いた従業員はすぐに通報。警察はケイトから監禁場所を聞き出し、西オーストラリア州パース郊外ウィラジーのムーアハウス・ストリート3番地に向かう。そこに住んでいたのはデヴィッドとキャサリンのバーニー夫妻。ここでオーストラリアを震撼させた通称「ムーアハウス殺人事件」が発覚する。

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殺人カップル「デヴィッド&キャサリン」の出会い

 デヴィッドは1951年、パースの郊外で5人兄弟の長男として生まれた。

 10歳のとき両親が離婚し、弟らとともに養護施設送りに。15歳になったころ競走馬の厩舎で働き始めるが、ある日、頭にストッキングを被り下宿先の老婦人の部屋に侵入、レイプしようとしたかどで職場を解雇される。

 キャサリン(1951年生)はそんな彼と幼馴染で、2歳のときに母親を亡くし、育児を放棄した父親に代わり祖父母に引き取られた。ただ、祖母は厳格でキャサリンが外で遊ぶことを一切禁止し、友だちを家に入れることを拒んだ。笑顔を見せることのなくなった彼女に優しく接してくれたのがデヴィッドだった。共に崩壊家庭に育った2人は互いの傷を舐め合うように14歳のころから交際を開始する。が、一緒に窃盗を働いたことで2人とも少年院に入れられ関係は破局する。

 デヴィッドの素行不良は少年院を出た後も改善されず、窃盗や強盗の罪で刑務所を出たり入ったりする一方、露出や小児性愛、SMなどに異常な関心を示す性癖「パラフィリア」の持ち主となる。