入学した中学校は「足立区の学習院」と言われたエリート校

 一審判決では情状酌量面として〈Bの未熟で偏りのある人格形成過程には、幼少時期からの両親から受容されない家庭などといった、他律的な要因が重畳的に関わっており、この屈折した心理がAへの無批判な追従を促した〉と指摘された。父親にも母親にも受け入れられない家庭環境で育ったBが、暴走するAに従ってしまったことが犯行の一因だというのだ。

遺棄現場周辺の魚藍観音 ©文藝春秋

 母親に一審判決での指摘について尋ねた。

「判決でBは主犯Aに追従し、自分の意思をコントロールすることができないという文脈が出てきます。なぜ、あんな犯行に走ったのか、何か思い当たる節はありますか?」

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「やはり、本人としては、父親というのが大きかったのだと思います。高校入試のときも、間違って父親の名前を書いたんです。『何で父親がいないのに書くの?』と、私も心ない言い方で聞いてしまったんです。そうしたら慌てて隠したんですけど、父親っていうのは、息子にとって必要な部分だったのだと思います。

 相撲大会に幼稚園代表で出たときに、『これに勝ったらお父さん帰ってくるかな』って言ったのが、私としてはいちばん……。要するに強ければ何とかなるんじゃないのかなという考えに、走っていってしまったんじゃないかなと思います。そのときは、相撲大会でも気合い負けだったんですけど……。確かにお父さんがいなくてもお母さんがいなくても、よく育っている子はいると思います。でも、あの子には、父親が必要だったんじゃないかなと思います」

 母親は幼いころのエピソードを交えて、父親不在が息子の非行の理由だとして一気に話した。

 Bが入学した中学校は「足立区の学習院」と言われたエリート校だった。有名私立高校への進学率も高かった。中学校では陸上に打ち込み、大きな問題行動は起こしていない。だが2年生の冬、スキーで足首を複雑骨折し、得意のスポーツができなくなった。そこからBの人生は暗転する。学校では成績が下がるにつれて喧嘩が増えていった。母親は夜の仕事で忙しく、さらに知り合いの男性との再婚を考えて親子で引っ越した。子育てより自分の恋愛を優先していると受け止めたBは不信感を募らせた。

 Bは都立高校への進学を希望したものの、母親は柔道や野球などスポーツが強い地元の私立高校への入学を勝手に決めてしまう。1学期の終わり、身長180センチという目立つ体格から運動部の勧誘を受けるが、Bが断ったことで集団暴行を受ける。暴行が明るみに出て運動部が大会に出られなくなるのを恐れて、学校は暴行を加えた運動部員を処分せずBに自主退学を促したという。これをきっかけにBは次第に不登校となり、高校1年生の2学期、1987年11月に中退した。