泣く泣く過激な水着を着てグラビアデビュー

――グラビアデビューは21歳の時ですね。これは最初の事務所ですか?

手島 いや、3つ目の事務所です。私が入る事務所って、みんな倒産していくんですよ。エキストラくらいしか仕事がないから、知らないうちに潰れていくんです。3つ目の事務所で「グラビアをやれば早く女優さんになれるよ」と言われて。最初は抵抗があったんですけど。人前で水着なんて……みたいな。

©︎鈴木七絵/文藝春秋

 ただ自分の中でもスタイルが悪いわけじゃないとは思っていたので、結局グラビアデビューしました。当時は10代じゃないとグラビアデビューできないという風潮だったので、事務所から「じゃあ2歳サバを読みましょう」と言われ、19歳としてグラビアデビューしました。

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――最初のグラビアの仕事は雑誌ですか? DVDですか?

手島 DVDでした。撮影は台湾だったんですけど、台湾で現地集合だったんですよ。それで海外に初めて飛行機で行ったんです。でも怖いじゃないですか。「台湾についたら誘拐されて、そのままどこかに売り飛ばされちゃうかも」とか想像しちゃって。でも仕事だし行くしかないと思って。

 撮影自体も事前の打ち合わせでは普通の水着だったのに、現地では胸の先端しか隠れないような面積の小さな水着で。でも海外だし逃げられないんですよ。

――じゃあ泣く泣く、その過激な水着を着たんですね。

手島 泣く泣くでしたね。現場ではなんとか耐えたけれど、ホテルに帰ったら不安すぎて家族に電話しましたもん。ただ、スタッフさんはめちゃくちゃ優しくて、私が困ったような顔をしていると一応「やめる? どうする?」とは聞いてくれてたんですよ。それもあったからグラビアを続けようと思えました。

次の記事に続く 「最後は布すらなくて光で隠してた」清純派を目指していたのに…手島優(43)が語る「こんなはずじゃなかった」“着エロ”グラドル時代

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