かつて車庫があった三田駅前へ

 そのまま第一京浜を北に進んだ都電1系統は、桜田通りとの交差点・札ノ辻を経て田町駅前を少し過ぎたところに三田停留場。

 

 日比谷通りとの交差点の北の角には、三田車庫があった。いまでは東京都の障害者福祉会館になっている。

 

 この場所にはいまでも東京都営地下鉄の三田駅がある。すぐ目の前にJR田町駅があるというのに、地下鉄は三田。都電時代から受け継いだ名が、地下鉄にも使われているのだ。

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 1系統のこの区間、いまほぼ丸ごと引き継いでいるのは都営地下鉄浅草線である。

 

高架の下をくぐる金杉橋

 都電1系統は、品川駅前~三田間が品川線という路線名を持っていた。三田停留場から先はそのまま金杉線に入る。

 といっても、路線名は便宜的なもので、お客にとっては運転パターンを示す系統番号のほうがよほど重要だった。1系統、路線名が変わっても変わらず第一京浜を走ってゆく。

 

 現在の芝四丁目交差点、東京港口停留場では芝浦の車両工場までの分岐線を分け、都電は北へ。

 

 首都高都心環状線の高架をくぐるところに金杉橋の停留場があった。“橋”とあるように、実際にいまもここには金杉橋が架かっている。渋谷川下流の古川を渡る小さな橋だ。

 

 その真上を首都高が通ったのは1964年のこと。ずいぶん低い高架だが、3年ばかりはこの高架の下を都電が通り抜けて走っていた。

東京タワーを西にして歩く

 その後もまだまだ第一京浜。西に増上寺と東京タワーが見える大門交差点。

 東京タワーは1958年に完成した。当時は背の高いオフィスビルなどほとんどなかった時代で、廃止される間際の10年弱、都電の車窓からは東京タワーがよく見えたという。

 

 路面電車の走る町に赤い鉄骨の東京タワー。当時のお客たちは、都電の車窓から日本の発展を実感したに違いない。