終点・上野の停留所へ
秋葉原を過ぎると終点はもう近い。
江戸時代の大火を契機に火除地として整備された上野広小路。その正面には上野公園も見える。上野広小路から上野駅まで歩いても10分ほどの距離だ。
そこに都電は上野公園・上野駅南口・上野駅前と100mにも満たない間隔で停留所を連ねていた。
走っては停まり、また走ってはすぐ停まる。これぞ路面電車の本領発揮といっていい。それだけ上野駅周辺には、輸送需要が大きかったのである。
いま、上野駅の東側には真ん中を首都高の高架が横たわり、その下に広いペデストリアンデッキが覆っている。1系統終点の上野駅前は、ちょうどこの首都高の高架下あたりだっただろうか。
週末には行楽客の輸送を当て込んで、1系統は浅草まで延長運転を行っていたという。
パンダのまちの今と昔
東京から路面電車が消えようとしていた1960年代。この時代には、上野駅に東北・北信越から多くの若者が“集団就職者”として降り立っていた。彼らが上野駅を出てまず目にしたのはお客を詰め込み、クルマに囲まれながら走る都電だった。その地下には地下鉄も走っていた。
まだその当時、上野公園にパンダはいなかった。パンダのカンカンとランランがやってきたのは1972年のことだ。
都電1系統はその5年前の1967年に廃止されていたが、上野駅前と浅草方面を結ぶ都電は1972年11月11日まで走り続けていた。カンカンとランランの一般公開は、上野から都電が消える直前の11月5日である。
いまや、上野はパンダの町だ。そこかしこにパンダのオブジェが置かれていて、上野土産の定番もパンダ。パンダのイラストがあしらわれたお店など、数え切れないほどだ。
上野がパンダの町になってゆくのと入れ替わるように、上野の町から路面電車は姿を消した――。東京の路面電車は、ひとつ前の時代の最後のシンボルだったのかもしれない。
撮影=鼠入昌史
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