マッカーサー通りと呼ばれた環二通り

 新橋駅の手前で第一京浜は山手線の高架をくぐる。その直前、現在では環二通りとの交差点のあたりに都電は新橋五丁目の停留場。

 環二通りの西を見通せば、遠くに虎ノ門ヒルズ森タワーが見える。東京タワーといい、いまの東京は幅広の通りの向こうに決まって背丈の高い建物があるのだ。もちろん、都電の時代には森タワーなぞは存在しなかった。

 

 というより、そもそも環二通りが通ったのはつい最近、2014年のことなのだ。

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 環二通りは、完成前からときに“マッカーサー通り”などと呼ばれていた。戦後、マッカーサーが建設を指示したから、などという。

 

 ただ実際には関東大震災後の都市計画道路がルーツで、戦後も幅員100mの復興道路を建設する計画が持ち上がっている。

 住宅密集地を貫く大通りの建設は容易ではなく、完成は21世紀にずれ込み、幅員も40mに。いずれにしても、路面電車から見ることのなかった大通り、である。

いよいよ銀座通りへ

 山手線と新幹線の高架をくぐった先、海岸通りとの交差点付近には新橋停留場。東には汐留貨物駅があり、新橋駅前はまだまだヤミ市の香りが色濃かった都電の時代。

 そして新橋から先は、高架だけが残っている高速道路、通称“KK線”の下を通っていよいよ銀座通りである。

 

 博品館に和光の時計塔、三越松屋ヴィトンブルガリ。ブランドショップはさすがに当時はなかったが、都電は博品館前から銀座通りに入って和光も三越も松屋もその目の前を走っていた。

 
 

 銀座通りを走る路面電車の歴史は古い。1882年、東京馬車鉄道が開業したのがすべてのはじまりだ。