日本でいちばん有名な交差点といえば、渋谷のスクランブル交差点に決まっている。鉄道路線が十字に交差する谷底の北西。ハチ公前広場のその向こうに広がるスクランブル交差点は、“現代の東京”の象徴といっていい。
道玄坂の下、公園通りと旧大山街道が交わるこの渋谷駅西口の交差点一帯は、戦前から渋谷の中心だった。戦後、西武百貨店やパルコが進出して渋谷が“若者の町”になると、渋谷駅西口は爆発的に通行人が増加する。そうして1973年、交差点がスクランブル化された。
Qフロントに渋谷109、センター街。そしてハチ公像。変化の著しい渋谷にあっても、いまもってスクランブル交差点は渋谷の顔であり続けている。
そんな渋谷の表玄関に、かつて路面電車が乗り入れていた。開業以来地上を走っていた山手線が1920年に高架化して現在の形になった。それを受けて1923年、当時の東京市電青山線が高架をくぐってハチ公前広場に乗り入れたのだ。
路面電車の廃線跡には何がある?
といっても、その当時はまだハチ公の銅像はない。ハチ公が渋谷駅前で主人を待つようになったのは1927年頃からで、銅像の落成は1934年。ハチ公のなかったハチ公前広場に市電が乗り入れたのである。
そしてこの路面電車の乗り入れが渋谷の町のさらなる発展の起爆剤になる。渋谷駅前を起点に、東京の東西を結ぶ大動脈。市電、のちの東京都電の9系統と10系統だ。どちらも都電40系統の中では“ドル箱”だったのだとか。
いったい、どんなところを走っていたのか。今回は、50年以上前の1968年に廃止された10系統の跡を辿ってみようと思う。

