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都電はジャマもの扱いされた?
1966年にはビートルズの日本公演で大賑わい。都電10系統の廃止は1968年だから、武道館に都電で向かったビートルズファンもいたのだろうか。
ただし、このときすでに地下鉄東西線九段下駅は開業していた。ビートルズの日本公演は、ちょうど公共交通の主役が路面電車から地下鉄へと移り変わる時代の出来事だったのである。
九段下の交差点を過ぎると、首都高の高架が頭上を通る俎橋へ。俎橋は日本橋川に架かる橋で、いまもちゃんと流れを見ることができる。首都高は都電廃止の前年に開通した。地下鉄だけでなく高速道路も路面電車と入れ替わるように首都・東京に現れたのだ。
オリンピックに前後して、大きく変わりつつあった東京の都市景観。路面電車は、すでにすっかりジャマもの扱い、過去の遺物になっていたのかもしれない。
古書の町こと神保町へ
九段下から首都高をくぐれば、靖国通りは“古書の町”神保町に入ってゆく。
都電最後の年、1968年には“神田カルチェラタン闘争”と呼ばれる学生闘争が起こっている。明治大学や日本大学など多くの大学が並んでいた神田・駿河台一帯は人呼んで“日本のカルチェラタン”。都電が学生運動に巻き込まれることもあったのだろうか。
三省堂書店の新しいビルを横目に靖国通りをさらに進むと、スポーツ用品店の集まる小川町。そして淡路町を経て靖国通りと中央通りが交わる須田町交差点にやってくれば、都電10系統は終点を迎える。




