「ソースやきそばの発想の原点は縁日の焼きそばだった。縁日に食べる焼きそばは独特のソースの香りと雰囲気に負うところが大きい。先発のカップ焼きそばはみんな丸型容器だったが、縁日の焼きそばなら『四角』だろうとイメージした。後発の商品は差別化された特徴がなければ太刀打ちできない。だから、屋台を思わせる形と液体ソースという仕掛けにこだわった」。(8頁)
業界初の四角い容器に対応するため、工場長はだいぶ苦労したようだ。
めんを四角い容器に入れるには、新しい機械が必要となる。津久田は「売れるか分からないのに、設備投資はできない」と、一ラインの作業人数を2倍の50人に増やし、手作業で対応することを決めた。また、めんに具材を絡みやすくするため、従来とは反対に粗い方の面を上にして容器に入れる装置など、必要となるラインの改良は、津久田に任された。(『上毛新聞』2003年8月4日、6頁)
当初の生産ラインについては、丸橋善一も懐かしんでいる。
現在の赤堀工場で日産3万食のスタートでした。残業をしてですよ。オール手動型の工程です。カップをならべる人、麺を入れる人、スープをのせる人といった具合に、1ラインに30人近い人手がはりついた。黒山のような人が必要でしたね。(『日本食糧新聞』1988年2月25日、9頁)
善一は、容器の水はけや外装の印刷にも工夫が凝らされていたことにも触れている。
容器のお湯の切れを良くすることも大切な着眼でしたね。焼そばらしくサッパリした食感をもたらす容器ですね。これは私共の実用新案特許になっております。〔中略〕
私が誇りにできるのは、当時容器の四面に印刷可能な印刷機が日本に1台しかないのを使用したことでしょう。容器不足で思うようにいかなかったこともありますよ。(同前)
また、2015年に容器がリニューアルされてしまったが、それまでは火傷しにくいように二重構造になっていた。それも発売当初からの仕様だった。業界初の四角い容器は、いくつもの工夫と配慮の積み重ねで成り立ったことがわかる。

