日本競馬の悲願とされる凱旋門賞。天才ジョッキー・坂井瑠星騎手、トップ調教師の矢作芳人氏と万全の体制で挑んだはずの舞台で、馬主・藤田晋氏が目にしたのは想像とはまったく違う光景だった。
パリの競馬場で突きつけられた、「何が起こるかわからない」競馬の難しさとは? 累計9万部(電子含む)を突破した話題のビジネス書『勝負眼 「押し引き」を見極める思考と技術』(文藝春秋)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/続きを読む)
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2024年、初めて挑んだ「凱旋門賞」
2024年10月、1泊3日の弾丸スケジュールで、フランス凱旋門賞へ行ってきた。私の愛馬、シンエンペラーが出走したからである。馬主4年目にして、もう凱旋門賞なんてすごいとみんなに言われるけど、ほんとにそうだと思う。だから私としても、なんとか現地で観戦したかった。
シンエンペラーは2年前にフランスの競りで、日本を代表する調教師、矢作芳人氏が見つけた。全兄が凱旋門賞を勝っている世界的な良血馬で、競り当日は矢作先生に任せて私は日本から中継で見守っていた。価格はみるみる上昇し、210万ユーロ(日本円で3億円超え)で落札、なんとか予算ギリギリだった。
この時、現地メディアの取材に対し、矢作先生は「凱旋門賞にこの馬を連れて帰ってくる」と語っている。私は期待を込めて、シンゴジラの「シン」と皇帝の「エンペラー」から、世界的な名馬になっても良さそうな名前を付けたつもりだ。
デビュー戦を楽勝し、昨年秋にGⅢ京都2歳ステークスを勝ち、暮れのGⅠホープフルステークスでは2着、今年の日本ダービーでは3着だった。それでも凱旋門賞参戦を決めたのは、私としては来年を見据えた記念受験のような感覚もあった。
ところが本番の3週前、前哨戦に位置付けた欧州の強豪集うアイルランドのGⅠで好走し、海外での評価が高まり、日本国内でも、もしかしたらこの馬が悲願の凱旋門賞初制覇かもと、期待が高まった。また、日本からの出走が今年は1頭だけになったことで、シンエンペラーに注目が集中することになった。日本では、競馬にあまり詳しくなくても凱旋門賞だけは知っている人が多い。これは恐らく「凱旋門賞」という名前の響きがいいのもあるのだろう。ここで勝つことが日本競馬の悲願とされている、とても注目度の高いレースである。
過去の経験は全て糧になる
そんな中、シンエンペラーは、現地オッズで5番人気、日本国内では2番人気と、なかなかの期待を背負っての出走となった。
スタートを五分に決め、目論見通り好位につけることに成功し、道中は前へ行きたがるのを我慢させ、最終コーナーに入る理想の展開、そこから最後の直線、一気に弾け、自慢の末脚を爆発させる。そのはずだった。あれ? どうした……想像していたのと違う、馬群の中で伸びあぐねるシンエンペラーの姿に、私はパリロンシャン競馬場の観客席で絶句した。
隣にいた、矢作先生も、厩舎関係者も、取材クルーも、誰も何も言葉が出てこなかった。矢作先生は小さくなって俯いたまま、なんとかして声を絞り出すように「すみません」と私に言った。
