「200兆円」という天文学的な賠償金とハイパーインフレがドイツにもたらしたものとは何か? 『エブリシング・ヒストリーと地政学』が話題のエコノミスト、エミン・ユルマズ氏が、現代の地政学リスクにも通じる歴史の教訓を紐解く。
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巨額の賠償金を課せられたドイツ
第一次世界大戦の終結からわずか20年と9カ月後の1939年9月1日―。ドイツ軍はポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が幕を開けた。
第一次世界大戦で敗戦国となったドイツが、なぜ再び戦争の火ぶたを切ったのか? 私には、戦勝国による過度に懲罰的な戦後処理は、敗戦国を極限まで追い込んでしまい、破滅的な結果をもたらすという深い歴史的教訓がここにはあるように思えてならない。
第一次世界大戦は、ヴェルサイユ条約の締結をもって終結した。が、それはドイツにとって苦難の始まりだった。なぜなら、常軌を逸した苛烈なまでの賠償を負担させられることになったからである。
まず賠償金が1320億金マルクと決定。これは現在の円ベースでいうと200兆円規模で、当時のドイツのGNPで20年分にも相当した。ドイツ側が想定していた賠償金の額は300億金マルクと言われており、経済学者ケインズが計算したドイツの支払能力は最大でも400億金マルクだったことから考えても、1320億金マルクがいかに現実離れした数字だったのかがわかる。
ただし、この数字は連合国国民を納得させるための政治的な意味合いが強く、実際の支払い計画では債務は分割され、即時支払いが求められたのは500億マルクだった。残りの820億マルクはドイツの支払い能力に応じて検討するという留保扱いだった。
第一次世界大戦中の戦いはほとんどドイツ国外で行われたが、長引いた戦争と英国による海上封鎖でドイツの経済力は地に落ちていた。その状態で巨額の賠償金の返済など、とうてい無理な話だった。
しかし連合国側は、この賠償金を受け入れなければ、再びドイツに軍事攻撃をかけると脅した。ドイツのせいで沢山の人が死んだのだから道義的責任(Moral Responsibility)をとれ、というわけだ。やむなくドイツは条件を受け入れるが、賠償金受け入れの実務を担当していたドイツの外務大臣ヴァルター・ラーテナウはユダヤ人であったため国内の右翼の憎悪の的となり、暗殺されてしまった。
さらにドイツは、海外に領有していた植民地のすべてを放棄させられた。アフリカの植民地はイギリスとフランス、太平洋の植民地はイギリスと日本で分割し、統治することになった。また、ドイツの国内領土についても、アルザス゠ロレーヌ地方をフランスに割譲し、東隣りの国であるポーランドには、「ポーランド回廊」といって、ポーランドとバルト海を結ぶ細長い地域を割譲した。

