トキの親戚で、のちに実父であることがわかる傳(堤真一)が「怪談とは、怖いだけじゃなく、寂しいもの」と言っていた。「うらめしや」という言葉には、昔の誰かが残した思い、言えなかった言葉が内包されている。そんな「目には見えない誰か・何か」に思いを馳せ、想像することの大切さを、怪談は教えてくれる。

ヒロインの親戚で、のちに実父であることがわかる傳を演じた堤真一 公式Xより

外国人に対して「うちらとそげに変わらんと思うけど」

 小泉八雲研究の第一人者や、八雲とセツさんに関する資料を深く読み込んだこのドラマの制作陣は、トキのモデルである小泉セツさんについて異口同音に「オープンマインドな人」だと評している。そんなセツさんの性質が、トキの造形にも存分に注入されている。

 第21回でヘブンが松江に降り立ったとき、町の人々は生まれて初めて見る「異人」をどんな人なのかとあれこれ噂し、色めき立っていた。しかしトキだけはそのまだ見ぬ「異人」を「うちらとそげに変わらんと思うけど」と評した。

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 初めて訪れる極東の地で好奇の目にさらされ、ナーバスになっていたヘブンの心の奥にある闇を、トキは、握手したヘブンの手の微かな震えから読み取った。

 トキは苦難に満ちた人生を歩んできたけれど、否、だからこそ、他者に何かを押し付けたりしない、断じない。人には人の、それぞれの立場と考えがあることを知っている。そのうえで、どんな人も「同じ人類なのだ」と思える人間愛も持ち合わせている。かといって、決して聖人君子ではない。

髙石あかり 「ばけばけ」公式Xより

 九分九厘の朝ドラの主人公の造形は作品の哲学を体現していると筆者は思っている。トキのオープンマインドさは、『ばけばけ』という作品そのものが持つ多様性と多面性、「一義的な正義を押し付けない」という世界観にも似ている。

 ドラマの制作姿勢や作劇スタイル。これもまた、作り手が目指す視聴者とのコミュニケーションを表すものだ。『ばけばけ』に正しい人、立派な人は出てこない。明治という激動の時代に翻弄された様々な属性の人たちが、不格好ながらも必死に生きた。その姿を「どうぞ自由に見て、自由に感じてください」と、このドラマは言っている。

次の記事に続く 朝ドラ史に残る「沈黙の1分半」…「ばけばけ」の台詞に頼らない作劇を成立させた髙石あかりの“計り知れない引き出し”