その後にトキがヘブンに向けて語りかけた台詞が、『ばけばけ』がいちばん描きたいことなのではないかと感じる。

「相手の気持ち、知ることで、ええことに……ええことに、なったらええなあって、思います」

 相手の言葉に耳を傾け、その思いを、完全にわかることはできないけれど、知ろうとすること。自分はその人の立場になることはできないけれど、他者の立場や思い、痛みを想像してみること。それぞれの違いを尊重すること。この、コミュニケーションの原理がみんなに行き渡れば、「日に日に世界が悪くなる」のを少しでも食い止められるのではないだろうか。もちろん、そう容易くいかないのが、世の中でもあるのだけれど。

ADVERTISEMENT

髙石あかりとトミー・バストウ 公式Xより

 御一新に取り残された元上級武士の家に生まれ、明治の世の格差と理不尽さに苦しめられてきたトキ。アイルランド人の父とギリシャ人の母の間に生まれ、差別や迫害に遭いながら世界各地を転々流浪してきたヘブン。この、言葉の通じないふたりが出会い、伴侶となり、ときにすれ違いながらも、共に生きていく。主人公夫婦がまさに、異文化コミュニケーションを体現している。

「あなたの言葉、あなたの考えで語ってほしい」

 背景も来し方もまったく異なるふたりが怪談という共通言語を通じて、互いを分かち合う。人の哀れさ、可笑しさ、寂しさが刻みつけられた怪談という根源的な物語が、ふたりの言葉の壁、人種の壁を取り払っていく。

 ヘブンはトキから怪談を語ってもらう際、本を読み上げるのではなく「あなたの言葉、あなたの考えで語ってほしい」と望む。つまり、物語の向こうにトキという人を見たい、トキの人となりを知りたいというのだ。

 古より人の「語り」によって受け継がれてきた怪談や民話は「口承文学」と呼ばれる。語られるたびに話者の解釈が入り、語る人の思いが乗り、形を変えて伝わってきた物語の数々だ。そして日本の怪談を世界中の人が読んでもわかりやすいように噛み砕き、「再話」として構築したのが、ヘブンのモデルであるラフカディオ・ハーン(小泉八雲)その人である。

髙石あかりとトミー・バストウ ©時事通信社

 昔の人が残した思いと、語る自分の思いを照らし合わせながら、口承文学を繋いできた人たち。再話文学を構築したラフカディオ・ハーンのような作家たち。それらの作品を鑑賞し、昔の人の暮らしや思いを想像する読者たち。これらの人たちが行なっている、伝え、受け取り、想像するという行為はまさに、時をまたいだコミュニケーションだ。