大島がAKB48のシングルで単独でセンターを務めた回数をご存知だろうか? 実は総選挙1位になったことでセンターの座を掴んだ「ヘビーローテーション」「ギンガムチェック」、そして卒業シングルである「前しか向かねえ」の3回にとどまる。

 ライバルとされる前田が卒業までに単独でセンターとなった回数は10回。大島は指原莉乃(5回)、渡辺麻友(4回)よりも少なく、島崎遥香(3回)と同じ数だ。AKB48の中心でありながら、明確にエースとは言い切れない。そんな大島の不思議な立ち位置が見えてくる。

7歳から子役として活躍するも、徐々に仕事がなくなっていく

 大島は7歳の頃、母親のすすめでセントラル子供劇団に所属し、子役としてデビュー。ケンタッキー・フライドチキンのCMや、ドラマに子役として出演していた。小学校6年で父親の仕事の都合で栃木に引っ越しをするも、半年後に両親が離婚。以来、父子家庭となる。

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 仕事面でも、幼少期は次々と仕事が決まったが、成長するにつれて徐々にオーディションに通らなくなる。中学時代にはジュニアアイドルとして水着の写真集を出版している。

 高校生の頃には仕事はほぼなくなっていた。2003年にはフジテレビの深夜番組「SDM発i」から生まれた高見沢俊彦プロデュースのアイドルグループ「Doll's Vox」のメンバーに選ばれる。大島自身も「これは期待のグループだ」と思っていたが、グループはCDを1枚出しただけで解散。もう芸能をあきらめ、社会福祉士への道へ進もうと考えた大島に待ったをかけたのは、当時の事務所のマネージャーだった。

「『もったいないよ? まだ諦めなくてもいいんじゃない』と言ってくれて。でも、もういいんですって。本当は諦めたくなかった…。そうしたら、『秋葉原でこんなのやってるよ』って。これで最後。そう思ってAKBを受けたんです」(「優子」より)

 マネージャーが持ってきたのは、AKB48の2期生オーディションだった。

1stフォトブック「優子」

何でもそつなくこなせるからこそ、愛されない?

 アイドルとは不思議な職業で、何でもできる万能型よりもどこか欠陥がある方がかわいらしいと評価される。その点、芸歴が長く、何でもそつなくこなせる万能型の大島はAKB48の運営側からの評価は高くなく、「芸歴が長いから伸びない」とまで言われていた。

 AKB48ではコンサートごとにその日のMVPが秋元から贈られるが、大島はどんなに頑張ってもMVPをもらえなかった。なぜ自分はMVPをもらえないのかと直談判した大島に対し「期待値が高くなるとハードルも高くなる」「優子は何でもできるから、伸びしろが見えにくいんだ」と話したという。

 秋元は書籍「AKB48の戦略! 秋元康の仕事術」の中で、大島と前田を対比し、次のように語っている。