「大島優子は、売れなくなるとはどういうことか分かっている。だから、与えられたチャンスを絶対にムダにしない。どんな取材でも全力で対応するし、ファンサービスも一生懸命やる。前田敦子は、そういう経験がないから本当に人見知りで、ときには不機嫌そうな顔をしてしまう」

 なんでもそつなくこなす姉と、気分屋の妹。そして、両親の愛情は心配をかける妹へと向いてしまう。まるで家族のような構図が見えてくる。

前田敦子に勝利した日、大島優子が語ったこと

 そんな大島の運命を変えたのが、選抜総選挙だった。第1回で前田に続く2位となると、翌2010年の第2回選抜総選挙では中間発表では2位ながら、最終的に前田を抜いてついに1位を獲得する。

ADVERTISEMENT

「嘘のようです。いつも2位の大島としてやってきて、今年はきっと下がると思っていました。こんな光栄なことはありません。昨年は『背中を押してください』と言いました。今年は、そうは言いません。付いてきて下さい」

「ヘビーローテーション」

 運営ではなく、ファンの後押しで大島が初めてAKBのセンターに立つことが決まった瞬間だった。この時の曲が「ヘビーローテーション」だ。総選挙で1位を取った夜、大島は栃木の父親に「初めて1位になれました。やっと誇れる娘になれたかな」とメールを送る。すると父親からはこう返信があった。

「今でも十分、誇れる娘だよ」

 2011年の第3回AKB48シングル選抜総選挙には9000人近いファンと、約500人の報道陣が詰めかけた。日本全国86か所の映画館で生中継されるなど開催ごとに規模が大きくなっていた。

 大島は速報で1位となるも、最終結果では前田に破れ2位となる。この時、前田は「一つだけお願いがあります。私のことは嫌いでも、AKB48のことは嫌いにならないでください」とアイドル史に残る言葉を残す。

2011年の選抜総選挙で健闘をたたえあう前田敦子と大島優子 ©時事通信社

 一方、敗れた大島は司会の徳光和夫から前田へのコメントを求められると「あっちゃんはAKBの顔です。あっちゃんが笑顔で前を向いてくれれば、それでいいです。これからも一緒に前を向いて行きましょう」と話し、前田と抱擁した。AKBのエースはあくまで前田であるという思いもあったのだろう。前田は翌2012年の3月のコンサートでグループからの卒業を発表。2011年がライバル2人が争った最後の選抜総選挙となった。

 前田がいなくなった2012年の選抜総選挙。大島も一時は総選挙辞退を考えたという。そこで秋元康に相談すると、両エース不在となることを危惧した秋元から「優子が出ないとAKBが崩壊します。負担がすべてかかるようなことはさせない」と返信があった。そこで「出ます。私はAKBに全力を尽くします」と参加することを決めたと日刊スポーツで語っている。

 そして選抜総選挙本番。大島は渡辺麻友を抑え、2度目の総選挙1位に輝く。