武藤 プロレスしながらUWFにも対応しているわけで、あの時の俺ってすごいと思うよ(笑)。

――武藤さんが自分で観てもすごい(笑)。

武藤 俺が今もプロレス団体の社長だったら、「こんなヤツ、欲しいなあ」って思うよ。

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――あの頃のUWFの選手にムーンサルト・プレス決められる人なんて、そういないですよね。

武藤 「ロープに飛ばない」とかやってる相手に合わせて、なおかつ自分の動きをやるわけだからね。あれがあったから、のちの(Uインターとの1995年10・9の対抗戦での)髙田延彦戦に活きてるんだよ。

たった1年のインパクトで「今も稼げている」

――スペースローン・ウルフ時代も無駄じゃなかったわけですね。

武藤 何がいいって、そのあとのWCW時代の映像はYouTubeにもすげえ残ってるんだよ。あの頃はすでにヒザは壊れてるんだけど、それでもまだいい動きしてたからさ。あの時代の財産で、俺はWWEのホール・オブ・フェーム(殿堂)になったり、その恩恵でアメリカにもサイン会で行ったりして食わせてもらってるわけだからさ。グレート・ムタなんて、アメリカでは1年くらいしかやってないのにそうだからね。

――グレート・ムタがWCWで活躍してたのって、じつはほぼ1989年だけなんですよね。

武藤 そうそう。でも、そのたった1年のインパクトで、今も稼げて暮らしていけるんだよ。

――初代タイガーマスクの活動期間がわずか2年ちょっとだったのと同じですね。

武藤 この前、愛川ゆず季とトークショーをしたら、あの子も2年ぐらいしかプロレスをやってないんだよな。それであのインパクトを残したっていう。

――彼女が売れたことで、女子プロレスはアイドル路線に変わりましたね。

武藤 でも、そうなるまでには大変だったみたいよ。イジメみたいなのが。

――そうだったんですね。

武藤 昔の女子プロ文化のなかで、ああいうふうにチャラチャラしてたらさ、すごい圧力だったらしいよ。