3日前から観測されていた“前兆”

 神社の近くに住む一家3人は、周囲の人々に避難を勧められたにも関わらず、ご神体を守る義務があると言って神社に踏みとどまった。噴火のあとも救助船が来るまで2日間、軽石と火山灰が降りしきる中を耐え抜き、ご神体とともに救助された。

境内に根を張るアコウの木

 だが、神様のご加護はあまねく人々には及ばなかったらしい。黒神では10人の死者・行方不明者を出している。そして、鹿児島県全域では約170人の死傷者が発生。稀にみる大規模災害でありながら、犠牲者は少なかったと言えるかもしれない。

いまや隠れた観光スポットに

 とはいえ、噴火は突然起きたのではない。その前兆が3日も前から見られたという。

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 島内の至るところで井戸水が沸騰し、海岸には大量の死魚が浮き、地震が断続的に起きていたという。桜島には江戸時代に起きた安永大噴火の言い伝えがあり、これらを噴火の前触れと考えた島民は多かった。

 それなのに、なぜ犠牲者が出てしまったのか。

約100年前に建てられた石碑

 腹五社神社を後にして、桜島の南部に位置する東桜島小学校へ向かう。ここに「桜島爆発記念碑」と呼ばれる石碑が校庭の片隅にひっそりと立っている。学校の許可を得て、実際の石碑と対面することができた。

校庭の片隅に立つ桜島爆発記念碑

 建立から約100年が経ち風化しつつあるが、石碑の裏には「住民ハ理論ニ信頼セズ」と刻まれている。

 当時は第一次世界大戦を機に日本の科学技術が大きく飛躍した時代。それなのに「理論を頼みとするな」とはなかなか挑戦的だ。いったいどういう意味だろうか。

“科学を信じない”石碑が誕生したワケ

 内閣府の「災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 1914 桜島噴火」(2011年)は、大正大噴火について「鹿児島測候所の情報が、事態の深刻さを打ち消す方向に働いたことは否定できない」と評価している。

 鹿児島測候所とは、当時、鹿児島市北部に存在した気象庁の下部組織にあたる地方機関だ。

桜島から鹿児島市内中心地を眺める

 桜島の異変は誰の目から見ても明白だったようで、県や警察、新聞社、そして桜島の村役場など、あらゆる機関がこの鹿児島測候所に問い合わせをしていた。

 すると、鹿児島測候所は「櫻島ニハ噴火ナシ」と答えたのだ。その回答は各所に広まった。