「自分は秀吉の弟である」と名乗る男に…
天下人となった秀吉に、ある男が「自分は秀吉の弟である」と名乗り出ました。秀吉は真偽を確かめるため、実母の大政所に弟と名乗る男を会わせました。仮に大政所に、弥右衛門や竹阿弥以外の男との間に子どもがあれば、秀吉の弟を名乗る男の言い分にも信憑性が出てきます。母の様子をうかがっていた秀吉でしたが、大政所が顔を背け、いかにもな態度を示したので、これは間違いないと考えたのです。
そこで秀吉が取った行動が、なんと弟と名乗り出た男を死罪に処することでした。そして、これをきっかけにわざわざ領内を隈なく調べ上げ、自分の血縁者を探し出したのです。すると、秀吉の妹を自称する2人の女性が見つかりました。呼び出された妹たちは、弟と名乗る男と同じように、秀吉に殺されてしまいました。
『フロイス日本史』が真実を書いているのか疑問視する人もいますが、『甫庵太閤記』などの軍記物に比べれば、はるかに客観的な史料だろうと思います。フロイスは信長や秀吉と同じ戦国時代に生きた証人であり、その動向を本国へと伝えていました。日本国内の利害関係とは無縁な立場で書かれた報告だけに、一定の客観性が担保されていると考えられます。
弟や妹を次々に殺した秀吉の凶行は、豊臣政権の支配を揺るがぬものにしようという時期に、弟と名乗る人間が出てきたため、政権を揺るがす可能性がちょっとでもあるならば、早めに排除しておこうという思惑によるものだったのでしょう。未然にその可能性の芽を摘むという意味で、名乗り出た弟を殺し、さらに血縁者を調べて、探し出した妹たちまで殺めてしまった。まさに「ブラック秀吉」です。
