17歳で宣言「大勢に好かれなくても、やりたいことを」

 芸能界デビューは1991年、テレビ番組発のアイドルグループ・桜っ子クラブさくら組に参加したときにさかのぼる。この年の秋、同じグループの東恵子と「KEY WEST CLUB」というデュオを結成し、シングルを3枚リリースするなど1年あまり活動した。1993年には、資生堂のCMに続きドラマ『ひとつ屋根の下』に出演、俳優の活動を始める。新人時代のインタビューでは、目標は「個性派女優」と語り、《大勢の人に好かれようとは思っていないんです。それよりも、多少イヤな奴と思われても、自分のやりたいことができるようにしたい。もちろん、ただのわがままじゃなくて》と、17歳にして自分の意思をはっきり口にしていた(『サンデー毎日』1993年7月4日号)。

中谷美紀と東恵子のユニット「KEY WEST CLUB」(「お誂え向きのDestiny」1991年)

 当時、取材で好きなものを訊かれると、愛読書はヘルマン・ヘッセの『デミアン』、映画はハリウッドよりもヨーロッパ、音楽ではエリック・サティやブライアン・イーノの環境音楽などを挙げ、強いこだわりをうかがわせた。

 坂本龍一のファンだとも公言し、一緒に仕事をしたいと希望していた。その夢は、1995年に坂本のアルバム『SMOOCHY』の1曲「愛してる、愛してない」で彼とデュエットしたのに続き、翌年、坂本プロデュースにより1stアルバム『食物連鎖』をリリースしたことでかなえられる。もっとも、2023年に坂本が亡くなったあとで彼女は、《正直なところ、歌を唄いたい訳ではなかった。教授[引用者注:坂本のニックネーム]の音楽に触れることだけが喜びで、売野雅勇さんの詞の世界観を無感情に声にするボーカロイドを演じているような感覚だった》と当時を顧みている(中谷美紀『オフ・ブロードウェイ奮闘記』幻冬舎文庫、2024年)。

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役が抜けず、その後の仕事も断るほど没頭した作品

 坂本と初めて仕事をした1995年には、俳優としても利重剛監督の映画『BeRLiN』で主人公の風俗嬢キョーコを好演している。役に没入するあまりキョーコの人格が撮影後も1年ほど抜けなかったらしい。台本や劇中で着た衣装も後生大事にするつもりだったうえ、そのあとに出演オファーを受けた作品も断ってしまうほどだった。

映画『BeRLiN』(1995年)

 それでも『BeRLiN』で俳優として注目されてからは、カルト的な人気を集めたドラマ『ケイゾク』(1999年)で生活力皆無の天才刑事・柴田純、映画『嫌われ松子の一生』(2006年)では流転の人生を送る川尻松子など、個性的な人物を数々演じてきた。ネット掲示板から生まれたオタク青年が主人公の純愛物語『電車男』の映画化(2005年)では、相手役の女性「エルメス」が中谷似と形容されていたことから、彼女自ら演じている。

 いまいちど『BeRLiN』公開時に話を戻すと、このとき中谷は、これからも自分の心の中に住んでしまうような役を演じ続け、それが10にも20にもなったら、デジタルカメラが撮った画像でいっぱいになればデータを外に出さなくてはいけないように、自分の心もそういう状態にいずれはなるのかなと思っている……と独特の表現で語っていた(『ターザン』1995年12月13日号)。

映画『自虐の詩』舞台挨拶での中谷美紀(2007年撮影) ©文藝春秋

 その予想どおり、俳優を続けるうちに彼女は、24時間役柄の感情に集中していては心身ともにボロボロになって、人生が崩壊してしまうと悟り、役柄と自らの距離を適切に取るようになる。とりわけ『嫌われ松子の一生』では主人公の20代から50代までの人生を、しかもロケ地の都合で異なる年代のシーンを同じ日に演じなければならないこともあり、気持ちの切り替えを鍛えられた。以来、ひとつの作品が終わると台本や集合写真をためらわずにシュレッダーにかけるようにしているという。