2023年には『猟銃』を新たに伝説のバレエダンサー、ミハイル・バリシニコフを相手役に迎えてニューヨークで再演し、それまでの2度の公演と同様、心身ともに大きな負担をかけながら舞台に立った。このとき、稽古の初日からいきなり例の絶叫シーンを本気で演じて喉を痛めてしまい、夫から「観客もいないのに声を張り上げて喉を潰すのは、指揮者や演出家に認めてもらいたくて仕方がない二流、三流歌手だけだよ」と電話で叱られ、猛省したという(前掲、『オフ・ブロードウェイ奮闘記』)。演奏家である彼ならではの忠言であり、そういうパートナーを得たことは彼女が俳優を続けるうえでも幸運といえるだろう。
原田マハの小説を映画化した『総理の夫』(2021年)で中谷が演じた日本初の女性首相・相馬凛子(現実の高市政権発足より4年先んじたことになる)も、働く女性が子供を育てやすい社会をつくることをマニフェストに掲げ、自身も夫とともに生活を犠牲にしないよう心がけていた。凛子と中谷は、結婚しても家に入るという感覚がないところも共通する。中谷が結婚に際し、外国人配偶者の特例を使って夫婦別姓を選んだのも、彼と結婚はするけれど、彼の家に入るわけではないとの思いからだった(『キネマ旬報NEXT』Vol.38、2021年8月)。
「俳優業は向いていない」「今の仕事にしがみつかなくても…」
さまざまな試練を乗り越えながら俳優として地歩を築き、映画賞や演劇賞もあまた受賞してきた中谷だが、デビュー当時より俳優をいつまで続けるかわからないと語り、結婚してからは、この仕事をいつ辞めてもいいと言ってはばからない。2年前のインタビューではこんなふうに冗談とも本気ともつかない発言もしている。
《俳優業は向いていないと思いながら、かといって他にできることもなく、やめるタイミングを逸しながらここまできてしまいました。でもヨーロッパでは、移民の皆さんは言葉が完璧ではなくてもたくましく働いていらっしゃる。そういう姿を見ていると、日本でつらくなっても行ける場所はいくらでもあるのだし、今の仕事にしがみつかなくても、何をしても生きていけると思えるようになりました。人生を楽しむ術はいくらでもあり、心豊かな暮らしもある。だから、きっと大丈夫。私自身が生成AIに取って代わられても、と思っています(笑)》(『日経ウーマン』2024年1月号)
もっとも、『猟銃』での身を削るような体験談などを読むと、俳優・中谷美紀の代わりをAIが務められるとはとても思えない。彼女自身、50歳を迎えるにあたり、尊敬する舞踊家・振付家のピナ・バウシュは年を重ねてこそ、どんなに鍛錬した若いダンサーにも出せない空気をまとっていたとして、《たとえ体が若い頃のように動かなくても、成熟した人間にしか醸し出せないものがあると感じています。同じように、私たちの仕事でも、50代だからこそ生み出せるものが、まだまだ増えていくはず》と今後への希望を口にしている(「大人のおしゃれ手帖web」2025年12月5日配信)。
《年齢を重ねるからこそものを言わずして、そこに佇まうだけで表現できることが増えてくると思います》とは6年ほど前の発言だが(『AERA』2020年3月2日号)、その域に達するまで中谷にはぜひ俳優を続けてほしい。。
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