1971年の新宿クリスマスツリー爆弾事件。過激派「黒ヘルグループ」のメンバーとして指名手配された元俳優・梶原譲二を父に持つ脚本家・梶原阿貴(52)が、家族で送った逃亡生活を著書『爆弾犯の娘』(ブックマン社)に記した。
母親は未婚の母として彼女を産み、「誰の子かわからないけど妊娠してしまった」という体裁を取った。池袋を転々とする日々の中で、小学6年生まで父の名前も知らず「あいつ」と呼んでいた特異な家族関係について語った。
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イケメン俳優の父が、指名手配中であることを隠したままプロポーズ
「父は俳優だったんですけど、母は女優ではなく、劇団に所属していたわけでもなく、スナックで働いていたんです」
梶原の母親はもともと別の俳優と交際していた。そこに現れたのが、身長176センチの当時としては高身長で、B.V.D.やグンゼの下着モデルを思わせるイケメン俳優の梶原譲二だった。
母親が元カレの浮気で傷心していたタイミングで「結婚してください」と突然プロポーズ。しかも指名手配中であることは隠したまま関係を深め、後になって打ち明けたという。
「詐欺に引っかかったようなものだ」と母親は後に嘆いていたが、イケメンで上手に頼ってくる梶原譲二に心を許してしまったという。
小学6年生まで父親の名前も知らず、家庭内では「あいつ」と呼んでいた
梶原は4歳頃まで、家にいる父親のことを「コロボックル」だと思い込んでいた。当時流行していた絵本に「心のきれいな人にしか見えない」と書かれていたため、「この人は私と母にしか見えない特別な存在なんだな」と。
ただし「絵本のコロボックルはもっと小さいし、可愛らしい見た目なのに、家にいるコロボックルはずいぶん大きいし、陰気くさい」と違和感も抱いていたという。
小学6年生まで父親の名前も知らず、家庭内では「あいつ」と呼び、その正体に疑問を抱きながら育った。
「もしかして、母が嬉しそうに話している元カレが本当のお父さんなんじゃないか」と想像し、「この人が父親じゃなかったら、こんな他人のせいで私たちが迷惑を被っているのはたまったもんじゃない」とさえ思っていた。そのため「手や耳の形とか、部分的でもいいからちょっとでも似ていないか」と共通点を必死に探した。
父親は常に警戒心が強く、ピリピリして神経質な人物だったという。「イヤな男だな」と感じていた梶原は、「黒いオーラが出ているような感じ」と表現する。ひたすら体を鍛えている姿も「何のためにこんなに鍛えているんだろう」と不思議だった。
友人を家に呼ぶことも、家の場所を教えることも禁じられていた逃亡生活
梶原家では、友人を家に呼ぶことも、家の場所を教えることも禁じられていた。学校の家庭訪問や誕生日会のためには、「家」という設定の空きアパートを別に借りていた。
しかしそこには生活感が全くなく、「え、何ここ? なんもないじゃん」と友達が怪訝な顔でキョロキョロする始末だったという。
家にいる父親は、家族が外出中はトイレの水も流さず、生活音を出さないよう徹底していた。逃亡するためのボストンバッグを枕元に置く「梶原家の掟」もあったが、梶原のバッグの中身は漫画ばかり。「いきなり逃げることになっても、続きが読めないと困りますから」と漫画好きならではの対応だった。
撮影=山元茂樹/文藝春秋
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