『ドラゴンボール』の孫悟空役などで知られる野沢雅子(89)が第76回NHK紅白歌合戦のゲスト審査員に登場し、「痺れた」と話題になった。
声優として史上初の文化功労者に選ばれたメモリアルイヤーの終わりを華々しい舞台で飾った。
野沢は戦前の1936年10月25日、東京生まれ。
松竹の女優だった佐々木清野を叔母に持ち、その縁で2歳で子役として映画にデビューしている。
8歳のときに戦火を逃れて群馬県沼田市に疎開し、高校卒業の18歳まで過ごした。高校在学中に劇団東芸の研究生になり、NHKのドラマ等に出演しながらキャリアを重ねていった。父親は大学進学を希望したが、「10年経って食べていけなかったらスパッとやめる」と約束して東京で劇団員生活をスタートさせた。
声優業をはじめたのは10代後半の頃で、もともとは本人の希望というよりも所属劇団の経営を支えるためだったというから興味深い。当時はまだテレビでアニメーション番組が始まる前で、海外ドラマや洋画の吹き替えがメイン。それも生放送で声をあてる作業だったため、本人もデビュー作はハッキリとは覚えていないという。その頃からメインは「少年役」だった。
アニメーションでのデビュー作は28歳で出演した、『鉄腕アトム』(63年)へのゲスト登場だった。その頃には業界内では野沢の少年声には定評があり、あらゆる映画やアニメの少年役として引っ張りだこに。そして32歳の時に『ゲゲゲの鬼太郎』(68年)の鬼太郎役で初主演を務めた。
「これを着てください」と鬼太郎の着ぐるみを渡され…
『鬼太郎』時代の野沢はエピソードの宝庫である。
アニメ放送期間にデパートの屋上で催された『鬼太郎ショー』でのこと。当時はキャラクターショーのシステムや録音技術などが発達しておらず、ステージ上のぬいぐるみの動きに合わせて声優たちが生で声をあてる形でショーが行われるケースも多かった。
ある日野沢が、目玉おやじ役の田の中勇やねずみ男役の大塚周夫らと一緒に現場に到着すると、係の人から担当キャラの着ぐるみを手渡され「これを着てください」と言われたという。
