共産主義への「防波堤」としてのイスラム主義への支援

 東西冷戦下において、ソ連の共産主義拡大に対抗する地政学的戦略の一環として、アメリカはイスラム主義勢力へ積極的支援を行った。イスラム教の神聖な色である緑になぞらえ、ソ連の南下を食い止める「緑の防波堤」(グリーンベルト)を築くという計画だった。神を完全に否定する共産主義とイスラム原理主義は相容れないため、アメリカは両者の対立を利用しようとしたわけだ。

 一番わかりやすい例は、1979年のソ連のアフガニスタン侵攻に対して、CIAはパキスタン、サウジアラビアと連携して、史上最大規模の「サイクロン作戦」を決行、アフガニスタンのムジャヒディン(イスラム自由戦士)に対して、数十億ドル規模の資金と兵器を提供していることだろう。ここには後にアルカイダを組織するビン・ラディンも含まれていた。

 カーター政権からレーガン政権にかけてこの資金提供はエスカレートし、CIAのサイクロン作戦自体に費やされた費用は総額約30億ドルに達する。さらに、この作戦を支える兵站拠点であったパキスタンへの経済・軍事援助を含めると、米国がこの地域に投じた総額は200億ドルを超えると推定される。

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エミン・ユルマズ氏

 1980年代になってアメリカが供給した携帯式のスティンガーミサイルはソ連のヘリコプターや航空機に壊滅的な打撃を与え、1989年、ソ連を撤退に追い込むことに成功した。

 ただ、このときアメリカが支援した資金、武器、軍事技術がのちにアルカイダのような反米テロ組織の温床になるのは歴史の皮肉だ。後年の「対テロ戦争」でアメリカが費やしたコストはアフガニスタンだけでトータル2.3兆ドルと推定されている。サイクロン作戦を安全保障上のひとつの投資として見たときに、あまりにも馬鹿馬鹿しいマイナスリターンだった。

イラン革命に震撼し、フセインを支援

 1979年というのは、イラン革命が起きた年でもある。パーレビ朝はアメリカ資本と組んで石油開発を進めていたが、石油メジャーによる利権の独占、対米従属への国民の不満は高まり、シーア派の最高指導者ホメイニ師が率いるイスラム原理主義勢力によって、親米政権は倒され、イスラム共和制の国家が突如誕生したのである。

 イラン革命によってイランの原油生産と輸出が大幅に減少したため第二次オイルショックが起き、欧米諸国を震撼させる。

 これを受け、イランのシーア派の革命が他のアラブ諸国に“輸出”されることを恐れたアメリカは、隣国イラクでバアス党を掌握し大統領となったサダム・フセインが石油利権やシーア派・スンニ派の歴史的対立を背景にはじめたイラン・イラク戦争を支援する。表向きには中立を装いながらも、巨額の借款、軍事情報などを提供し、イランの脅威を抑え込むためにフセインを手助けしているのだ。