史上最悪の少年犯罪と呼ばれる「綾瀬女子高校生コンクリート詰め殺人事件」。事件から35年が経った2024年夏、元「ニュースステーション」ディレクター・山﨑裕侍氏(現在は北海道放送報道部デスク)のもとに一本の電話がかかってきた。発信者は、準主犯格Bの義兄だった。突然告げられたその言葉とは――。

 加害者の「その後」の取材を続けてきた山﨑氏の著書『償い 綾瀬女子高校生コンクリート詰め殺人事件 6人の加害少年を追って』より一部を抜粋して紹介する。(全2回の1回目/続きを読む)

現在も残る監禁現場の前の電柱 著者撮影

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Bの死を告げる電話

 2024年7月22日午後8時3分。平年よりも暑い日が続いていた札幌はこの日、熱帯夜を迎えていた。

 自宅でくつろいでいると、聞き慣れない着信音が鳴った。今は電話機としてほとんど使っていない私用のスマートフォンだった。表示された発信者の名前を見て、心がざわめいた。

「山﨑さん、ご無沙汰しています」

 電話口からは最後に会ったときと変わらず、低音で落ち着いた声が聞こえてきた。

 女子高校生コンクリート詰め殺人事件。

 35年経った今も話題にのぼる歴史的な少年犯罪だ。

 1989年3月29日、東京都江東区若洲で、ドラム缶にコンクリート詰めにされた女性の遺体が発見された。被害者は埼玉県三郷市に住む17歳の女子高校生だった。事件に関わったのは主犯格A(18)、準主犯格B(17)、自宅が監禁場所となったC(16)、監視役のD(17)など、当時16歳から18歳の少年たち。

 通りがかった見ず知らずの女子高校生をAが強姦目的で連れ去り、40日間にわたって足立区綾瀬のCの自宅の一室に監禁した。連日に及ぶ強姦、顔面や体を殴りつける、ライターで皮膚をあぶる、食事を与えないなど、常人なら想像もつかない非道の限りを尽くした挙句、A・B・C・Dの4人は女子高校生を殺害。遺体をドラム缶に入れてコンクリート詰めにし、空き地に棄てたのだった。