被告人Bは、被告人Aが怖かったから被害者に凌辱を加えたかのような弁解をしているが、同被告人は、被告人Aが同席していないときにも、被害者が尿をこぼしたとして、被告人Cと共に、被害者の顔が変形して、頰と鼻の高さが同じになるほどの暴行に及ぶなどしているのであり、被告人B自身の残忍な性格や反社会性の故に犯行に関与したものというべきである。そのうえ、同被告人は、原審公判において、誘拐のことは分からなかったとか、強姦の意思はなかった、あるいは、殺意はなかったなどと不合理な弁解をし、自己の責任を免れ、軽減するため、すべてを被告人Aのせいにする主張を繰り返し、反省の情が見られない〉
Bは逮捕されたとき身長184センチ、体重77キロと体格も大きく、喧嘩も強かった。加害者4人のなかでも、準主犯格として暴力的な面を見せるものの、被害者に対して好意を抱くなど、ほかの加害者とは異なる内面を持つ人物だった。
「綾瀬事件の加害者」として死の状況を明らかにすることに
女子高校生コンクリート詰め殺人事件(以下、綾瀬事件)は、今でも関連の雑誌記事や書籍が出版されたり、ユーチューバーたちによって興味本位の動画が投稿されたりしている。依然として注目を集めながら、Bが死んだという情報はどこにも出ていない。もし本当ならばスクープとなる。だが私は逡巡した。
死亡した事実だけを伝えることに、どれだけ報道すべき価値や社会的意義があるのだろうか。そもそも人の死を報じること自体、慎重を期すべきことなのに、「綾瀬事件の加害者」であれば、なおのこと安易な報道はインターネットで格好の餌食になるのは目に見えている。Bの死をどう扱ったらいいのか、私の心のざわつきは何をしていても付きまとってきた。
真夏の突然の電話から3カ月。TBS系列の全国のテレビ局を対象にした研修会で講師を務めることになり、10月24日に東京に出張に行く用事ができた。Bの義兄に連絡を取り、翌日の25日に新橋の北海道放送東京支社で会うことになった。報道するのか、しないのか……。それはあとで考えることにして、テレビカメラでのインタビューをさせてほしいと依頼した。
「自分が知っていることしか話せないですが、それでよければいいですよ」
電話口で義兄は快諾してくれた。実は彼にカメラを前にインタビューをするのは二度目となる。今回も前回と同じく匿名を条件にした。
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