実際、相次ぐ不祥事が原因で天皇賜杯の表彰辞退に追い込まれた10年名古屋場所で3場所連続全勝優勝を果たした直後には、天皇陛下(現上皇陛下)の白鵬へのねぎらいと祝いが宮内庁を通じて書簡で伝えられたほどだ。その瞬間に、ファンからそっぽを向かれていた大相撲は息を吹き返した。
当時、多くの日本人は白鵬をこう評した。「日本人より日本人らしい」と。だが、その直後から巻き起こった稀勢の里への「大関昇進への期待」「日本人横綱への期待」が、白鵬を悪役へと変えていった。
母国モンゴルでは朝青龍のほうが人気だったワケ
白鵬の故国モンゴルは遊牧民の国だ。何百、何千という羊などの家畜とともに、牧草を求めて大移動を繰り返す。問題は、草が枯れる冬だ。秋のうちに草を刈って積み上げ、それを冬場に羊が食う。
しかし、十分な草を用意できなかったら、人間も羊も飢え死にする。秋から冬をどこで過ごすのか。古来その判断は、羊という全財産と部族全員の命を預かる一人のキャプテンに委ねられる。キャプテンは斥候を放ち、夏場の天候や部族間の抗争の有無などを調べさせ、報告を受け、あらゆる情報を検討して最終判断を下す。
そのキャプテンは、日本の国会議員のように世襲で務まるものではない。選ばれるには、自分自身の絶対的な能力のアピールが必要だ。だからこそ、「俺が最強だ」と土俵の内外でアピールし続けた朝青龍は、母国の人たちから愛された。
昭和の大横綱大鵬が現役だったころ。横綱戦が始まる午後5時45分になると、銭湯の湯船から人が消え、みな脱衣所に据えられたテレビの大相撲中継にかじりついた。NHKの大相撲中継はモンゴルでも同時放送されている。
横綱朝青龍の取組が始まると、ウランバートルの市街地から人影が消えたという。しかし、「日本人より日本人らしい」といわれた「控えめな白鵬」は、朝青龍に比べるとモンゴルでの人気はいまひとつだった。
